05 REPORT

【第7回IW実施報告】講演『オーストラリアから学んだライフセービングと生命教育』

2016年02月05日

 2015年12月10日(木)、後楽園キャンパス5533教室にて小峯 力理工学部教授による講演『オーストラリアから学んだライフセービングと生命教育』が実施されました。
 小峯教授は1987年に、オーストラリアでライフセービング・イグザミナー(検定官)資格を取得しています。帰国後は日本初のライフセービング指導者認定を受けており、その経験をもとにオーストラリアから学んだ海洋文化と生命教育について講演しました。レスキュー現場の映像や止血のデモンストレーションなどを交えた講演は、会場いっぱいに集まった学生、一般聴講者を惹きつけ、「常にハングリーである考えに感銘を受けました」「これから始まる就職活動を、ポジティブに挑みたい」といった感想が寄せられました。
 
 下記に、講演の概要を紹介します。

講演『オーストラリアから学んだライフセービングと生命教育』

 

自分の強みを見つけ、求められる人材へと成長する

  オーストラリアが今の僕の道を作ったと言っても、過言ではありません。オーストラリアでは命に対する尊厳が国民一人ひとりに浸透しており、そのことへの感動が、僕をそうさせたんです。

「世のために尽くしたひとの一生ほど、美しいものはない」

 僕は皆と同じ年くらいの時にこの言葉と出会い、心からの衝撃を受けて「自分のやっていることは、誰かの幸せを作れるのか?」と考えるようになりました。それまでは、僕のスポーツの仕方は勝利至上主義。もちろん、日本一をとれば家族やチームメイトが喜んでくれるだろう。しかし、それが本当に人の幸せに繋がるのか? そう考え始めたのが、君たちと同じ年の頃です。
 皆さんは就職を控え、どんな職業に就こうか、どう生きるかを考えている時期だろうけど、今、僕が50歳を過ぎて君たちに言えるのは、どう生きるかなんて考えているうちは、迷い続けていくしかない。そこで、提案だ。どう求められるか、何をもって自分が求められるのかを探してみるのはどうだろうか。誰もができる仕事をすることも、尊いことかもしれない。しかし、君たちの年頃の時期には「自分の強み、オリジナリティは何か。自分にしかできないことは何か」ということを考えながら攻めの姿勢で生きていかなければ――例えば、10年後に家族を持って子どもができた時に「何が誇れるか」と問われたら? 君たちはどう答えるだろうか。 今日は、「何か1つ誇れるものを持っていたほうがいいのではないか」という仮説を立ててお話しをします。
 

セルフレスキューから始まるライフセービング教育

 30年前、君たちと同じぐらいの年に、オーストラリアでレスキューの光景を目の当たりにしました。
 オーストラリアのライフセービングの世界には、プロフェッショナルとして仕事をしているライフガードと、ボランティアでライフセービングをしているライフセーバーがいます。ファミリーでやっている人もいるし、キッズのライフセーバーもいる。オーストラリアでは、小学校の頃からライフセービングの授業が義務教育として行われているんです。自分の命は自分で守る。セルフレスキューです。
 例えば生徒がケガをした時、オーストラリアの先生は自分でできる簡単なレスキュー、止血の方法を教えます。「自分で止血して、水道で洗いなさい。血が止まらなければ先生を呼びなさい」。その痛みを経験した生徒には、友達が転んだ時に「どうするの?」と聞く。自分の命、身体は自分で守り、人に依存しないという行為から、他人を救うという次のステップに進めるんです。相手の痛みを自分の痛みのように感じられる感性を、先生が育てています。こうして、お互いが助けあえる関係ができる。
 これがオーストラリアから学んだライフセービングです。お互いが守り守られる関係が築かれているので、救急車が足りないという日本のような状況は、オーストラリアには見られません。日本の救命率が1~3%という理由は、はっきりしています。救急車をすぐに呼ぶという行為。日本はあまりにも依存し過ぎていて、救急車が必要ではない場合も呼んでいます。すると、本当に必要な人のところに救急車が到着しなくなる。この根本には、ライフセービング教育が日本に浸透していないという現状にあります。オーストラリアの「互いの命を支え合う仕組み」があれば、日本の救急車もしかるべき時に出動することとなり、救命率が高くなるはずです。
 

ハンディキャップがあっても、ライフセービングは平等である

 オーストラリアでは、ボランティアのライフセーバーが心肺停止状態の人を救急車の到着前に心拍再開させることができます。人と人が支え合う仕組み。これがオーストラリアの国民に根付いています。僕は大学3年生の時にオーストラリアに渡って、この仕組みを日本に作ろうと考えました。
 車いすに乗ったライフセーバーのポスターを、皆さんにお見せしましょう。このポスターになった彼は、残された上半身、腕、脳を使って無線でライフセービングをしています。天気図を読む訓練をして、たくましいライフセーバーの誰よりも海のうねりが予測できるようになった。そして、ビーチで遊んでいる人たちに勧告する。下半身が動かないというハンディを背負ってはいたが、残された機能、自分にしかできない能力を使って、何千人もの命を未然に救うことができている。ライフセービングはどんなハンディがあろうとも、「人の命を救いたい」と思うなら、自分の特徴を活かして人のために尽くせる。そのためのいろんな手段がある。求められる能力に早く気付いて、どう求められるかを徹底して分析しなさい、と君たちに伝えたい。
 

レスキューせずに済む環境作りが、オーストラリアのライフセービング

 日本とオーストラリアのレスキューは、イデオロギーがまったく違う。講演会などの場で日本のレスキュー隊が、「数え切れないほどレスキューしてきました」と言ったとする。皆は「経験が深い人は違うんだな!」と思うだろう。しかし、私がオーストラリアから学んだライフセービングでは、「もう記憶にないな」と言える人、1回もレスキューをしたことがないという人がオーストラリアでいう名ライフセーバーだ。「え? レスキューしてないんですか?」と思うかもしれない。しかし、オーストラリアのライフセービングは、事故を未然に防ぐ、レスキューをせずに済む環境を作り、人に痛みを伴わせないというフィロソフィーが最優先されている。これが、日本とオーストラリアの違いなんです。
 

真のライフセービングを、日本に根付かせるための取り組み


 現在、中央大学には人間総合理工という学科があります。理学・工学を通じて、どう人の命を見つめるのか。ここで学んだ学生たちは、10年後、20年後にいろんな意味で人の命を支えあうものづくりに関わっていくでしょう。僕は中央大学で、本当に人のために尽くせるリーダーの養成を目指している。僕の経験、キャリアを学生たちに根付かせるため、生命倫理を説いているんです。陸・海・空に関係なく、人の命が見つめられる人間を育てたいと思っています。
 一番の課題は、ライフセーバーが増えても事故は減らないということ。日本国民に、自分の命は自分で守るという意識がないと難しい。キッズライフセーバー、ジュニアライフセーバーを義務教育として導入して、自分の命は自分で守るという国民をまず作る。そして、他人の命を見つめる心の寛容性を育む。そんなことを、国家レベルでやっていこうと考えています。僕が18~22歳の時に経験したことを、形にしてみせる。あの強烈なオーストラリアでの経験がなかったら、今頃「何十人も救ってきましたよ」なんて威張っていたかもしれません。ノーレスキューこそ真のレスキュアーでなければならない。このフィロソフィーを、これからも日本に広めていきたいと思っています。

 

小峯 力 理工学部教授

 
横浜生まれ。1987年、オーストラリアにてライフセービング・イグザミナー(検定官)資格を取得し、日本初のライフセービング指導者認定を受ける。日本ライフセービング協会理事長、国際ライフセービング連盟(ILS)委員、日本海洋人間学会副会長、海上保安庁アドバイザー等を歴任。
現在、中央大学理工学部教授(法学部兼担)。

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