私は大学卒業後、銀行勤務を経て、1958年にスズキ(当時、鈴木自動車工業)に入社しました。スズキは1920年に創業者である鈴木道雄が開発した織機を製造販売する鈴木式織機株式会社として浜松に設立されました。創業当時は日本の繊維産業が世界を席巻していましたから、鈴木式織機も順調に売り上げを伸ばしたようです。しかし、織機は耐久性抜群で代替需要を望みにくい商品であったため、会社の将来を思った創業者は自動車事業への進出を決意。1950年からオートバイの製造を始めました。1955年には、軽4輪乗用車「スズライト」(2サイクル360cc)も発売し、日本における軽自動車の先駆となりました。
その後1970年代に入ると、高度成長の流れを受けて自動車産業はアメリカへの輸出が急速に伸びていきました。しかし、対米自動車輸出自主規制が実施されたことにより、アメリカへの自動車輸出は割当制になってしまいました。当時スズキは日本の自動車メーカーの中で最下位の弱小企業だったので、当然対米輸出枠が割り当てられるはずもありません。そのため、アメリカでの勝負ではなく、「どこでも良いから一番になりたい」と考えました。
そこで1975年、まだ自動車メーカーがなかったパキスタンの政府と合弁で同国初の自動車工場を稼働させることにしました。1982年にはインド政府と国民車プロジェクトについて提携して生産を開始しました。
とにかく、どこかの国で1位をとりたいと無我夢中でやってきました。いわゆる海外戦略などという立派なものがあったわけではありません。ただ、クーデターが起きないような政治が安定した国を選ぶということは考えました。大事なことは、まず雇用を創出して、進出先の経済に貢献し、一般市民の生活を改善することです。あとは「一度決めたことはとことんやる」こと。どこへでも出て行ってチャレンジする精神が必要だと思います。