02 GLOBAL PERSON

グローバル・パーソン メッセージ vol.008

バーティカルな横のつながりで仕事を生み出し 元気でスピード感のある企業をめざす

室橋 東洋さん | 唯栢有限公司(The Well Pacific Worldwide Ltd.)
Sr. Manager Sales & Marketing

中央大学商学部 商学・貿易学科 1990年卒業
[掲載日:2013年4月1日]

売り手市場のバブル期に留学。帰国後戻れば就職氷河期

室橋 東洋さん

今思えば信じられないかもしれないかもしれませんが、卒業当時はちょうどバブル期で、売り手市場でした。中央大学を出ていればどんな大手企業にでも就職できるような時代。普通に就職するのがもったいないとも思っていました。私はもっと英語がしゃべれるようになりたいと思い、卒業後にワシントン州スポケーンの英語学校に行き、他に日本人がいない中環境で英語を学び、その後、ニュージャージーのフェアリーディキンソン大学(FDU)の大学院へ進学、MBAを取得しました。
卒業後、日本の企業にまずは就職しようと思い帰国しましたが、その時は既にバブルは崩壊、いきなり就職冬の時代で、当時の私は年齢も25歳になっていました。どの企業も25歳の新卒はなかなか雇ってくれず、その中で唯一通信機器メーカーのユニデン株式会社に入社することができました。

10ヶ月のトレーニング後、すぐに海外駐在

ユニデンは面白い会社で、本社は日本にあるものの、仕事のほとんどはアメリカで展開されていました。会長も「海外要員しか必要ない」という斬新な方で、年齢も関係なく雇ってくれました。通常新卒で入社し、5~6年経験を積んで海外駐在となるところを、10ヶ月のトレーニング後、すぐにアメリカに駐在させてくれました。
実は、このユニデンの仕事が今の仕事につながっているのです。仕事内容は、通信機のOEM営業(Original Equipment Manufacturerの略で他社ブランドの製品を開発製造すること)。SONYや東芝などの有名ブランドのコードレス電話は、ユニデンが下請けで全部作っており、自分はその営業をやっていました。今や世界的に携帯電話の需要ばかりですが、当時はコードレス電話のアメリカ市場だけでも600億円以上の販売をしていました。

更なる転職――“現場主義”を貫く

室橋 東洋さん

その後、あくまでも“現場”を追求し、本社がアメリカにあるコブラエレクトロニクスという、トラックや乗用車で使用する無線機に特化した会社に転職しました。
この会社は、自社ブランドの販売チャンネルは持っているものの、製造ラインを持っていませんでした。転職した2000年と言えば、ちょうど日系大手企業の製造拠点が、台湾やフィリピンから中国に移り始めた時代。コブラエレクトロニクスのジョブディスクリプションは、はじめから香港であり、その仕事は、香港を拠点にアジアの工場を訪問し製品の買い付けを行うプロダクトソーシングでした。当時は中国に続々と日系工場が展開していましたが、どうしてもコスト高になる。そこで、中国人がコスト安で自ら工場を始めようとするのですが、そうするとクオリティが追い付かないという現状がありました。我々はそこをサポートしながら、顧客の立場から彼らの工場の質を高める環境づくりに貢献しました。クオリティが上がれば彼らの財産にもなり、我々も安定した製品の供給を受ける事ができます。非常にやり甲斐のある仕事でした。

独立・起業――ベトナム事業のIPOは香港

そして現在。事務所は引っ越し騒ぎでゴタゴタ。とてもまだ事務所の体をなしていませんが、あと二週間もすれば、立派な会社になります。友人がやっている会社に興味を持ち、合流しました。このスピード感が日本になくて、香港にはあるものだと感じています。
自分には今まで蓄積したノウハウがあります。工場も熟知しているし、買い付けに行っていたので、中国以外に台湾やベトナムにも詳しい。今まで中国に任せていた部分も、労働力や原価の高騰に伴ってチャイナリスクが発生し、リスクの分散が必要になってきています。そんな今、インフラ整備に一番力を入れているのがベトナムです。今までベトナムは輸入品に依存してきましたが、政府主体のOEMの工場――アメリカにコントロールされない、“メードイン・ベトナム”を作りたがっています。
新しく起こす会社は、そこに着眼したのです。ノウハウは香港に、自分には日本、米国の営業チャンネルと製造工場を選択するノウハウがあり、タイアップしてやろうということで、ゼロから始めた新しいプロジェクトが去年の末から始まっています。
ベトナムはとても親日的で、ベトナム人は日本のことをもっと勉強したがっています。例えばベトナム人IT系技術者などに、日本語が加わると、ぐっと日本企業向けのアウトソーシングがしやすくなります。またベトナムは共産圏であり難しいことも多いため、規制が少なく、法人税が安い、自由度の高い香港を足場とするのがベストなのです。香港はそこが魅力的。ベトナム事業のIPO(International Purchasing Office)は、ここ、香港に決定したのはそのためです。

クロスマーケティングで仕事を生み出す

香港人には「この業界にいたからこの仕事以外はできない」という感覚がありません。むしろ、バーティカルな横のつながりで仕事を生み出します。日本の場合は、終身雇用にこだわらなくても、転職時に同じ業界を選ぶ傾向が多く、そこが香港と異なります。もちろん、受け入れ側にもメリットがあります。自分たちのクライアントが別なものを欲しいといえば、それを手に入れるチャンネルは持っているので、それを調達して売ればいい。それがクロスマーケティングの感覚なのです。ベトナムプロジェクトで工業団地を一つ作るためには、建設関係も必要ですが、ホテルマネージメント系の知識も重要になります。全く違う分野のプロフェッショナルたちが集まり、チームを作って取り掛かる。日本の会社から見ると「雑」と言われるかも知れませんが、規制にとらわれない元気さとスピード感がそこにはあるのです。

日本が失った大事なもの

室橋 東洋さん

何でもすぐにあきらめる日本の若者が増えているという話を聞くことがありますし、これは、自分たちの世代にも責任があると思っています。「頑張ってもこの程度にしかなれない」と思うと、自然と力が入らなくなるものです。僕の若いときは、「頑張ればこんなに凄いことになるんだ」という希望がありました。自分の周りの大人には自信のある人たちが結構いましたが、バブル崩壊後にこれがなくなりました。日本が失ったもっと大きなものだと思います。

バブルがはじけ日本は金銭的なものも失いましたが、一番の損失はこの“自信”だったのではないでしょうか。私は今、仕事がとても楽しいですし、人生を楽しんでいるからこそ、それを若い人に伝えなくてはならないと思っています。
「頑張れば、頑張った分だけ得られるものがある」――少なくともここ、香港にはそれが間違いなくあるということを。

プロフィール

室橋 東洋(むろはし とうよう)
1966年東京生まれ。1990年商学部商業・貿易学科卒業後、アメリカはニュージャージー州のフェアリーディキンソン大学(FDU)の大学院に進学し、MBAを取得。その後帰国し、1993年に株式会社ユニデンに入社、10ヶ月の研修を受けた後テキサス州ダラス駐在員として再びアメリカへ。2000年にコブラエレクトロニクスに転職し、香港を拠点として買付・ソーシングを行う。現在、友人の会社(唯栢有限公司)にジョインし、香港に事務所を起ち上げ、ベトナム向けの新規プロジェクト実現に向けて奮闘中。

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