02 GLOBAL PERSON

グローバル・パーソン メッセージ vol.035

カンボジアで人材紹介および不動産開発事業会社を起業

山本 貴宏さん | RIKUYO (CAMBODIA) CO., LTD
CEO

中央大学法学部 国際企業関係法学科 2011年卒業
[掲載日:2013年10月31日]

法学と経済の両分野を国際的視野から学ぶ

yamamoto

生まれも育ちも大阪で、中学・高校は大阪の進学校に在学していたのですが、関西人(特に大阪人)は非常に閉鎖的なところがあり、周りは皆当然のように近畿圏での進学を目指していました。

親戚がアメリカに在住していたことで、私は幼い頃から海外で外国人と触れ合う環境に身を置いていたこともあり、高校時代は「このまま何の考えもなく大阪を生活拠点にしていていいのだろうか」「親元を離れて東京に行った方が、もっといろいろな価値観に触れ多くを学べることができるのではないか」という思いを持っていました。また、将来は海外で挑戦したいという想いもあり、法学の名門、中央大学で「法律」と「経済」の両分野を国際的な視野から学べる法学部国際企業関係法学科に入学することに決めました。当学科は1年次からゼミに所属し、教授の指導のもと少数のゼミ生たちと一つのテーマを深く学べる点も非常に魅力的でした。当時のゼミ生とは社会人になった今でも皆仲が良く、本当に素晴らしい仲間に巡り会えたと思っています。 

 

1年休学をし、企業インターンとアメリカ留学を経験

学生時代、LAでのひとコマ

大学3年生になった頃、一つ上の先輩たちが皆就職活動に励んでいるのを目の当たりにし、自分の1年後の姿がそのまま重なって見えました。丸2年間、果たして自分は「海外で挑戦したい」という夢に向かって何か具体的な行動をとったのか?―何の行動もしていない。とても楽しく充実したキャンパスライフに、自分の目標を見失いかけていることを自覚した私は、1年間の休学を決意し、前半の半年間を「実社会で知見を深める期間」、後半の半年間を「海外で一人生活する期間」と定め、それに向けて動き始めました。

 前半の半年間ではほぼ毎日のように八王子から飛び出して都心に出向き、ITベンチャー企業でインターン生として働きながら様々な分野の社会人と交流をしました。ビジネスの大変さと面白さ、ヒトの大切さと恐ろしさを身をもって学べた期間でした。

後半の半年間ではまず初めに、毎年ロサンゼルスで行われているLA白門会主催の企業訪問プログラムに参加しました。実際に海外でご活躍されている先輩方と直にお会いし様々なお話を伺うことができました。初めて大学の縦の繋がりの意義とその素晴らしさを実感した3週間でした。

その後はボストンへ行き、約半年間、寮生活を送りながら英語学習に精を注ぎました。韓国人や台湾人など身近な国の人達から、カザフスタン人やベネズエラ人、サウジアラビア人など普段日本で生活していてはなかなか出会うことのない人達とも寝食を共にし、本当に多くのことを学べた期間でした。4畳半ほどの寮室に夜な夜なビールを持ち込み、6人で夜通し語ったことも良い想い出です。当然ですが、皆自国に誇りを持ち、自ら設定した夢に向かって努力邁進していました。「それに対して自分、ひいては多くの日本人はどうか?」 彼らと共に生活をするうちにそういう気持ちが強くなり、身が引き締まる思いでした。 

 

カンボジアで起業

私の進路を180度変えたのは3.11の東日本大震災でした。卒業式を目前に控えていた私は大阪で父の経営する建設会社に所属をしていました。卒業に必要な単位はすべて取り終わり、卒業半年前から父の会社で働きながら「今までの経験をどう活かしていこうか」ということを考えながら仕事をしていました。そんな折、東北で大地震が発生したのです。あくまでもビジネスとして割り切って考えた場合、関西の建設業界が今後冷え込んでくることは明らかでした。政府が公共事業にカネを注ぐべき場所は被災地の他ないからです。

また、私自身「縮小してゆくパイを競合と奪い合う」色の濃い業界にも少々息苦しさを感じておりました。そこで、新興国市場で新たな商売をしたいと父に相談をしました。父は創業者で私は一人息子の跡継ぎですので、通常であれば2代目として責任をもって父の事業承継をしなければならない立場にありましたが、父は私の申し出を承諾してくれました。

当時、もっとも世間を賑わせていた新興国は、全体として日本の約12倍の国土、約5倍の人口を有するASEAN(諸国)でした。また、ASEANは域内経済統合に向かっており、一つの経済市場としてみればこの上なく魅力的なマーケットです。数あるASEAN諸国の中でも私がカンボジアを選んだ理由は、まず①競合企業がほぼ皆無であった点、②堅調な経済成長、③日本と同じ政治経済システムを採用している点などが挙げられます。カンボジア人は親日的で人柄も良く、その点も私のカンボジア進出を大きく後押ししました。そんなカンボジアで最初に私が始めた商売は「人材紹介事業」です。人材紹介は仕入れコストがない「右から左の商売なので初期投資が少なく済み、また、業種に関係なくすべての企業がヒトを必要とするため「次の一手を何処にどう打つべきか」という情報を蓄積するには最も適した商売だと思いました。そしてその1年後には「不動産開発事業」を始め、現在は「人材」と「不動産」を軸に事業展開しています。 

 

RIKUYO

RIKUYOの社員と

カンボジア

カンボジアの市街地

街並み

カンボジアの街並み

アンコールワット

カンボジアの世界遺産・アンコールワット

海外でも日本人同士助け合い切磋琢磨すべき

外国人と、しかもお互い第二言語である英語でコミュニケーションを取ってビジネスを進めて行くことはやはり並大抵のことではありません。同じ日本人同士でも完全なコミュニケーションを取ることは難しいのに、いわんや外国人をやです。留学時代に経験した外国人との英語でのコミュニケーションでしたが、利害が絡んだ真剣なやりとりは初めての体験でした。カンボジア人は日本人以上にメンツを重視します。図らずも不遜な態度を取ってしまったがためにすべての商談が水の泡になってしまうこともあります。他国で商売をするためには、なによりもまず相手の国の文化・慣習を理解した上で尊重することが肝要で、それらのハードルをクリアして成立した商談への喜びは一塩です。

また、海外に出て非常に残念に思うことは、日本人同士が小さなムラ社会の中で足の引っ張り合いやいがみ合いをすることが多いことです。何処の国でも規模の差こそあれチャイナタウンやコリアンタウンが存在するのに対し、ジャパンタウンの存在は寡聞にして存じません。もっと日本人同士が助け合い切磋琢磨し合うことによって、世界での日本のプレゼンスを高めなければならないのではと切に感じます。 

 

世界で戦える実力をつけること

私が大学生だった頃、自分たちの世代はよく「内向き下向き後ろ向きの草食世代」だと諸先輩方から揶揄されました。政治経済が停滞し未来に希望を見出すことができない日本国内だけを見れば、そうなるのも当然のことかもしれません。

しかし、日頃から私はその言葉に強い反発心を抱いておりました。後輩の皆さんには、今直ぐにでも目線を「日本」から「世界」に向けて欲しいと思います。日本にいては決して知りえない、ダイナミックで刺激的な世界がそこには広がっています。先述の通り、例えば私が身を置くASEANは日本の5倍の人口を有し、高い経済成長率を続ける世界で今最もアツい場所です。それ以外にも、日本人だからこそ活躍できる場所は世界中にあるはずです。私自身、日本は素晴らしい国だと思います。何もかもが揃っていて不自由がなく、最高に居心地が良い。しかし、それは我々の先祖が築いた財産であり、私達の功績ではありません。若いうちからそこに安住するのではなく、リスクをとって海外で挑戦をし、世界で戦える実力をつけることこそが私達の世代の使命であり、そういった若者が増えることがひいては日本のためになるのだと私は信じています。周りの風潮に流されるのではなく、冷たい頭と熱い心を持って様々なことに挑戦して下さい。

連絡先: t.yamamoto@rikuyo.com 

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