02 GLOBAL PERSON

グローバル・パーソン メッセージ vol.059

NGOに就きたいのなら、まずは社会人としての経験を

櫻井 佑樹さん | 特定非営利活動法人 難民を助ける会 (AAR Japan)
支援事業部 プログラム・コーディネーター

中央大学法学部 2001年卒業
[掲載日:2017年03月28日]

「難民を助けたい」と、国際協力に憧れを抱いたのは中学生の頃。
現在は大人になり、家庭を築きながら
念願の NGO にて日本、海外が抱える課題と向き合っている。
ここに辿り着くまでには、もちろん紆余曲折も。
しかし、「思った時に行動する事と、覚悟が大事」と道程を振り返る。
この信念は、間違っていない。そう証明してみせているかの如く、
彼は今、子どもの頃に描いた夢を体現させている。

外交官になりたい。国際関係を学ぶうち、NGOに出会う

 「難民を助けたい」、「困った人を助けたい」と思うようになったのは、中学2年生の時。杉原千畝氏のドラマを観たことがきっかけでした。外交官を目指し、国際関係を勉強するために中央大学に入学しました。国際NGOの活動を知ったのは、大学2年の時です。「難民を助ける会(AAR Japan)」事務局長(当時/現理事長)の講演会に出席し、国際協力は国家機関だけではなくNGOもアクター(行為者)なんだと興味を持ちました。また、政治学の古典ですが、ジョン・ロックの『市民政府論』を読んで感動。NGOへの就職を希望するようになりました。
 AAR Japanは日本のNGOの老舗であり、伝統あるこの会で働いてみたかったのですが、新卒の募集はなし。当時は残念だったけれど、今となってはそれでよかったなと感じています。その後、「原子力安全研究協会」、イギリス留学、NGOの「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」を経てAAR Japanに就職しました。JMASに勤務していた頃は「ここを糸口に国際連合(UN)や国際協力機構(JICA)に転職したい」とも考えましたが、活動するうちに受益者の近くにいられる、人の温もりが感じられるNGOの仕事から抜けられなくなりました(笑)。
 ちなみに、尊敬する杉原千畝氏は今でも私の原点。駐在するときには必ずドラマのDVDを持っていき、心の支えにしています。

NGO 駐在員の仕事はマルチ。赴任先の課題に合わせて行動する

パキスタンで作った水道タンクと子どもたち

 JMASとAAR Japanでは、南・中央アジアやアフリカに駐在しました。NGO駐在員の業務は多岐に渡ります。例えば、会計業務。資金提供側(ドナー)に会計報告する際にとても重要です。それから現地スタッフの人事管理や事務所の管理といった総務。現地関係省庁の幹部クラスや担当官に会い、事業への協力要請や進捗報告、覚書の締結もします。
 こうした業務が主となるため、とことん現地の人と一緒に仕事をするイメージでいると、戸惑うかもしれません。





海外駐在先での主な事業
パキスタン・イスラム共和国(30~33歳/3年間)
 パキスタン・イスラマバード郊外では、水道改善事業を担当。その村では、女性が片道数時間かけて水を汲みに行っていました。しかも湧き水なので、湧水量が少ないときはそこで何時間も待たなければいけません。
 そこで、山の湧水元から麓の村まで水道管を敷き、村の公共スポットには貯水タンクを設置。水が湧くまで待たなくても水が汲めるよう改善する事業をしていました。
ザンビア共和国(35~37歳/2年間)
 国連合同エイズ計画(UNAIDS)の統計(2010年)によると、ザンビア共和国のHIV陽性者は約98万人、成人人口の13.5%にあたります。エイズ関連疾患による死者は年間7万5千人以上。1日200人以上(10分に1人の割合)が命を落としている計算です。HIV陽性者は20~40代の働き盛りに最も多く、同国の経済社会基盤を揺るがしています。
 こうした背景のなか、エイズ治療専門のクリニックを建築し、エイズ患者の家庭に訪問してクリニックに来てもらうよう促していました。また、エイズの進行を遅らせる抗レトロウィルス薬を服用するよう患者にワークショップを実施。エイズ患者への偏見を低減するために小中学校にあるエイズ対策クラブを支援して、学校や地域で啓発活動を実施してもらいました。
 ザンビアには、子ども6人に1人の割合で、両親をエイズで亡くしたエイズ遺児がおり、AAR Japanはこうした遺児の就学支援を現在も行っています。
タジキスタン共和国(38歳/10か月)
 首都ドゥシャンベで、インクルーシブ教育を実施していました。インクルーシブ教育とは、障がいのある子もない子も一緒に同じ教室で学ぶこと。タジキスタンでは、協働する現地NPOとともに教員研修を実施。学校内のトイレなどの一部をバリアフリー化し、車いす等を使って登校できるよう環境を整えました。また、障がい児のいる家庭を訪問し、学校に来てもらえるようインクルーシブ教育について保護者に説明をしていました。
 ある家庭を訪問したときには、障がい児の父親が「じゃあ、今、すぐにその学校を見に行こう」と前向きになってくれ、その後の家庭訪問を経てAAR Japanが支援している学校に兄弟2人が通いはじめました。

 こうした駐在は、現地の暮らしに溶け込み、現地の人の温度や呼吸を感じられるのが魅力です。住民の人たちが喜んでいる姿を見たり、お礼を言われたりすれば素直に嬉しいですね。このお礼はODA予算を使わせてもらっている団体の一職員として受け止め、日本の皆さんに伝えていく役目があると思っています。
 もう1つの魅力は、日本のVIPが事業地を訪問してくれること。パキスタンではJMASの活動状況を外務大臣に説明する機会がありました。ザンビアではAAR Japanが建設したHIV/エイズ患者のためのクリニックを秋篠宮同妃両殿下が視察され、タジキスタンではAAR Japanが支援する学校を首相夫人が視察されました。
 こうした方々を通じて私たちの活動が世間に知られることは、大きくは日本の政府開発援助(ODA)が広く知られるということ。ODAについて国民の皆さんに広く知られるということは、国民の皆さん一人ひとりが国際協力に関わっているのと同じだと思います。

 

海外で住民とともに活動をするには、自己の先入観を捨て去ること

損害保険ジャパン日本興亜から提供いただいた石鹸を
エイズ遺児に手渡す櫻井駐在員

 駐在先での難しさや課題……、おそらく日本と比べてしまえば毎日が大変だと思いますが、そういうものだと思っているので、あまり難しさとして捉えていません(笑)。強いて言うならば、途上国では日本の常識は通じないということ。まず、時間の感覚が違います。日本の時間感覚で物事を進めようとすると、思い通りにならず大変です。自分を途上国時間に合わせるといいかもしれませんね。
 例えば、AAR Japanで設置した施設を、相手国政府に譲渡する式典を挙行するとします。関係する大臣や大使に出席、スピーチ等の依頼をすると、日本では遅くても3日前には出席者が決まりますが、駐在先で決まるのは前日。前日の午後4時になって変更が出ることもあります。それに付随して席順やスピーチの順番の変更が発生するので、とにかく、臨機応援に対応することが大事です。このほか大変だったことは、以前の職場の任地で、不当な言い掛かりを現地の方から受けたこともありました。今ではそれもよい思い出ですが、とにかく相手も人ですので、まずは敬意を払うこと、興味を持つことが大事だと思います。言葉はその次です。
 皆さんが日本語が話せない外国人に好意を抱き、お付き合いしたいと思えば、必死でコミュニケーションを取ろうとするでしょう? それと同じです。私も言語ができたわけではありませんでした。駐在先で、住民の皆さんに向けてワークショップを行う場合にも、現地職員には「幼い子どもやお年寄りでも分かるように敬意を払って話せば、皆が理解できる」と指導しています。途上国の住民は、学歴もバックグラウンドも様々ですから。もう少し大学っぽくいうなら、法学部の学生に理工学部の授業をしても分かりませんよね。
 海外駐在に出る前はその国や事業について学ぶけれど、駐在に行ったらそれらの知識は一旦、捨て去るようにしています。決して自分の知識や常識を現地の人に押し付けない。曇りない眼で現地を観察することで、現地の人や現地職員の声をしっかりと聞きながら事業が進められます。
 あとは常に「自己批判」をしています。これが最良の選択なのかと考える。例えば、東京の本部で渉外をしていると、企業の方から要望を頂くことがあります。そんな時、「私は企業の御用聞きになっていないか」と自分に問い、中立・公平でいることを肝に銘じています。また、駐在先では、現地の人への思いが強くなってしまい、要望されることをやってあげたくなります。しかし、客観的立場で団体の意思を伝え、出来ないことは「出来ない」とはっきり言うようにしています。もちろん本当に必要ならば、海外駐在地から日本の本部に説明を尽くし、許可を取ります。人間なので完全には中立・公平ではないかもしれませんが、支援される側に肩入れをし過ぎず、資金提供側(ドナー)や東京本部ばかりに目を向けることがないように心がけています。

人と触れ合い、「声」を直に聞ける魅力、届けるというやりがい

 AAR Japanは東日本大震災以後、東北の人たちの復興を継続してお手伝いしています。

近年の事業例
◇福島県等の仮設住宅で暮らす高齢者へ理学・作業療法士によるマッサージを行い、元気になってもらおうという「地域みんなで元気になろう」プロジェクト
◇東北3県の障がい者施設へ、イオンのお客さまからの募金にイオンワンパーセントクラブがマッチングした資金で、資機材および商品の販売促進を支援
◇相馬地域で暮らす親子を対象に、放射能の影響が少ない西会津で体を屋外で動かしてもらう体験ツアーを住友財団の協力により実施

 こうした事業において、私は会計などのロジスティックや事業の立案をしています。渉外業務も担当し、支援頂いている企業や支援者に事業を報告。まだ、ご縁のない企業には、私たち団体の説明と支援をお願いしています。受益者の人たちの声を直に聞き、支援してくれるドナーや個人の方たちにこの声を届けられることがやりがいです。
 私たちは支援者と受益者の仲介役に過ぎず、支援者の「世界の困っている人に届けてほしい」という思いを、現場で実施するだけです。事業実施後は支援者に結果を伝え、私たちの団体に託してよかったと思っていただけるよう活動しています。
 これまでに海外だけでなく国内でもNGOの職員として仕事をしてきましたが、国内外両方を経験して感じる違いは、「地縁」かもしれません。開発途上国では、事業が円滑に実施できるかできないかは人とのネットワークの強さが強く影響しています。このネットワークを構築するには、信頼関係がとても重要です。まれに裏切られることもありますが、よく相手を観察して信頼すれば、現地の人と信頼関係を築けると思います。

事業地出身のパキスタン国会議員を表敬訪問

「縁」という視点からは、ムスリムが多数を占めるパキスタンとタジキスタンで家族の繋がりを強く感じました。パキスタンで一緒に働いていた70歳近くの日本人上司が、「俺が子どもだった頃の日本と一緒だ。違うところは、皆が携帯電話を持っているところだけだ」と言っていたのがとても印象的でした。兄弟がたくさんいれば、上の子が下の子の面倒を見る光景は、昔の日本の田園風景と変わらないのではないでしょうか。
 私が駐在した国では、現地スタッフは「日本みたいに発展したい」と言いますが、私は「発展すると今ある大事なものをたくさん失うよ。それでもいいならいいけど」と言うことにしています。彼らは失ってもいいから発展したいそうですが、私には人間にとってどちらがいいか、まだ分かりません……。

 

就職先としてのNGOの価値を、米国のように高めたい

 現在は大きな目標が2つあり、1つ目はひとりのNGO職員として、NGOに勤めても人並みに生活ができることを証明したいです。NGOでは家族を養うことができないといって、転職する人もいます。経済的な理由で離職する人たちへ、NGOでも生活できるということを、身をもって伝えたいです(笑)。
 2010年度、アメリカで調査された全米文系学生就職先人気ランキングでは、『Teach for America』という教育NPOが1位になりました。そのランキングトップ10にはNGO/NPOが3団体入っていました。将来、少なくても私の一番上の子が就職するであろう15~20年後には、日本社会でも、商社に就職するのもNGOに就職するのも同じような価値観になっていればいいなと思います。残念ながら、日本のNGOで働いて家族を養うには厳しい面が今もあります。その認識を、変えていきたい。それが、2つ目の目標です。
 日本のNGOは海外のNGOと違って財政基盤が脆弱です。そのために、本当に支援が必要な人に支援が届きにくい。現在、NGOは「第三セクター」として、国や公共機関の「第一セクター」、民間企業の「第二セクター」が手の届かない部分を担い、協働し合うことでよりよい社会を築く一翼を担っています。
 学生の皆さんは将来さまざまな業界で活躍されると思いますが、その時、皆さんにはAAR Japanに限らずNGO業界全体が持続的に発展できるよう、それぞれ活躍される分野から力を貸していただけると嬉しいです。

思い立った時、行動に移す。それが、未来を切り開くヒント

 学生時代は在住外国人の学習を支援する市民団体のボランティアに参加していました。中央大学法学部の先輩も所属し、一緒に団体の定款を作成していました。先輩から分かりやすく指導してもらったことで、「本当に頭のいい人は、難しいことを平易に教えられる」と感じ、私の価値観を変える出来事となりました。定款を作った先輩の中には、今では行政書士をしている人もいます。大学時代にすばらしい人に出会うことができ、勉強することの本当の意味や楽しさを学ばせてもらいました。中大でよかったなと思っています。
 学生の皆さんが就職する際に言えるアドバイスとしては、“気楽に”です。大学までは自分の実力だけで、つまり勉強さえすれば道は開けますが、就職は相性もあります。会社にふられても諦めずに、自分と合う会社を探していくことが大事です。私は新卒で就職したとき、「本当にこのままでいいのか」と自分に問い続ける日々が続きました。両親は「自分のやりたいことが出来る人なんて、世の中にはほとんどいない」と言いましたが、私はその意見に懐疑的で、だからこそ27歳の時にイギリスの大学院に留学する道を選びました。日本では「いい年をして大学なんて」と思われるかもしれません。しかし、留学先では60歳の女性も勉強していました。そうした環境を経験してきたため、思った時に行動する事が大事だと感じています。
 また、留学でもMBAなどのスキルにつながる学歴でなかったので、NGOを目指して就職する際も特別な資格がなくて就職できるのかと悩みました。そんな時に知り合いの欧州人から、「NGOは、看護師などの特別な資格を持った人だけが働いているわけでない。ロジ(ロジスティック)を担当する人もいるから大丈夫だ。むしろロジが大事なんだよ」とアドバイスをしてもらいました。留学も私の価値観を大きく変える出来事でした。しかし、何をするにしても覚悟は必要。中途半端な思いではいけません。
 とにかく、学生時代にしかできないこと、やりたいことを精一杯してください。そして夢を持ってください。夢と言ったら青臭いかもしれませんが、10年後、20年後に自分が何をしていたいのかを、じっくり考える。それは就職時や企業、団体の経営側の立場になった時、

タジキスタンでの教員向け研修修了証授与

「10年後、20年後、私たちの会社(団体)はどうなっていたいか。 そのためには今、どうしたらいいのか」と事業計画を立てる時に役に立つはずです。
 これは国際協力、特にNGOで仕事をしたい人たちに伝えたいのですが、新卒よりもさまざまな経験をしてから入職したほうがいい。特段、「こうしたキャリアを積んで!」とは言いません。なんでもいいんです。NGO、国際協力と関係ない経験を積んでも、国際協力の現場では必ず役に立ちます。むしろ、まったく別の経験を積んだ人のほうが、別の視点から課題を見ることができます。現場ではそういう視点がとても大事になってくるので、是非、国際協力やNGOとは違った分野から入ってくることをお勧めします。日本での就職活動の場合は、「新卒」ブランドもあるので、まずは、それを最大限に活かしてくださいね!

■プロフィール■

特定非営利活動法人 難民を助ける会 (AAR Japan)
櫻井 佑樹(さくらい ゆうき)さん

2001年に中央大学法学部卒業後、公益財団法人原子力安全研究協会に就職し、放射線災害医療研究所に勤務。2006~2009年にはイギリスのリーズ大学、ブラッドフォード大学の大学院に留学し、平和学について学ぶ。留学後は2012年まで特定非営利活動法人日本地雷処理を支援する会(JMAS)に就職し、パキスタン事務所の任地に赴く。
2012年からは特定非営利活動法人難民を助ける会(AAR Japan)のザンビア共和国、タジキスタン共和国での事業を経て、2016年8月より東京本部の東北事業を担当。

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