02 GLOBAL PERSON

グローバル・パーソン メッセージ vol.071 

自らのアイデンティティを模索して世界中を旅してきた。
「自分を語る」ことから始めよう。私がラップを続ける意義がそこにある

FUNI(郭 正勲)さん | ラッパー、詩人

経済学部 国際経済学科 2005年度卒業
[掲載日:2022年11月11日]

「 私が考えるグローバルパーソンとは、
 自分の安全領域を出て
 マイノリティであることの悔しさを通して差別の本質と向き合い、
 この社会における国籍や性別や属性を超えて
 弱められている人と人をつなげる人のこと 」

在日コリアン2.5世として、日本で生まれ育ったFUNIさん。
ラッパー、俳優、営業マン、IT企業社長、詩人というさまざまな経験
生まれ育った街や世界中を旅して感じてきたこと、
グローバルとダイバーシティ、母校中央大学、ラップ……。
今の想いを語っていただきました。
 
 

グローバルの原風景

 私は 4歳の時親元を離れ、母の故郷である韓国の田舎の漁村で1年間祖父母に育てられました。
 漁村で私は「イルボナァ(日本の子)」と呼ばれていました。私は自分が信じて疑わなかったものに裏切られたショックをハッキリ覚えてます。両親は「韓国人の誇りを持て」と言って育てましたが、その故郷は私を韓国人としては受け入れてくれなかったのです。その時、真実はなく複数の事実があるだけだと知りました。外野は好き勝手言うもので、大切なのは自分の感覚を信じること。でもその自分自身とは何だろうと疑うこと。これが私のグローバルの原風景です。

【両親について】
 私は在日コリアン2世である父と、韓国から来た母を親にもつ4人兄妹の次男です。私は自分自身を在日コリアン2.5世と呼びます。なぜなら在日コリアン2世同士の結婚であれば、その子供に当たる3世の母語は日本語になります。
 しかし、私の両親は国籍が同じでも事実上の国際結婚でした。なぜなら日本語しか話せない父と、韓国語しか話せない母とはコミュニケーションが難しく、特に母は言いたいことを押し殺して生活していたようです。両親はそれぞれ方法は違いますが、私たち兄妹に朝鮮半島にルーツがあることを誇りを持つように育てました。両親の民族教育の熱心さは、この社会においてマイノリティーであることが原因だろうと幼いながらに感じていました。

中央大学~大学時代の出会いが今の仕事に活かされる

▲卒業式の時には進路は決まっておらず、歯が抜ける夢ばかり見ていた頃。卒業してすぐに東京芸術座での仕事が決まり、なんとかプータロー状態をしのいだだけです。

 大学時代の思い出はラップと映画と福井千春先生です。
 私は在学中に、「KP(Korean Power,Korean Pride)」というグループのラッパーとして東芝EMIからメジャーデビューをしました。大学に入学した2002年は、サッカー日韓W杯の開催や「冬のソナタ」など第一次韓流ブームの頃でした。私はラッパーというキャリアとルーツを活かしてNHKのハングル講座にラッパー講師として出演するほどでした。
 また、北朝鮮の拉致から帰国した蓮池薫さんの兄・透さんの講演会が、薫さんの母校である中央大学で開催され、私を含めて多くの生徒が参加しました。当時は今よりも日本、韓国、北朝鮮が親密になっていく雰囲気があり、他の大学のイベントにも積極的に参加し、中央大学を超えて友人をたくさん作りました。このときに出会った人たちとは今でも一緒に仕事することが多々あります。最近は友人が出版した本の書評をラッパーとして執筆しました。お互いがそれぞれに取り組んできたものが世の中に取り上げてもらえることは格別に嬉しいものでした。


【中央大学で一番通った場所】
 中央大学で一番通った場所は、2号館の地下にあるAVルームです。なぜならここでは無料で映画が見れたからです。チャップリンの独裁者のような名作映画や当時の最新作DVDなど、年間で400作品ほど見ていたと思います。あまりにも通いすぎて、「AVルームの紹介文を書いてほしい」と職員に依頼されバイト代をいただいたほどでした。学生時代に名作観賞に費やした時間は私の財産です。今はお金をもらっても同じ作品数を見れませんし、素直な感受性もないですから。

▲中央大学在学中にデビューしていたKPが2003年にニューズウィーク誌の日韓同時に表紙になったもの。タイトルからして2003年ぽいですね

【恩   師】
 私は2年間中国語を必修で学びましたが、スペイン語ゼミに所属しました。しかしスペイン語ゼミに所属しながら「卒業論文はどうしても朝鮮半島の民主化について書きたい」と恩師である福井 千春教授に懇願をしました。先生はこんな出鱈目(でたらめ)な私に困った顔一つせず、「一生懸命やりなさい」と言ってくださいました。
 また福井教授は、私に「返さなくていい奨学金」を受けるように勧めてくれました。私は面接に合格し、学費が半分になりました。そのお陰で途中から自分だけで学費を払えるようになりました。学生時代に教授と仲良くなり、学生をサポートする制度を知ることも重要だったと思います。とても多感で不安定な時期に、その変化を面倒に思わず、むしろ楽しんでくれるような大人に出会えたことは、私の一生の宝物です。
※福井千春:スペイン文学者、中央大学経済学部教授(2012年在任中に逝去)


【全くしなかった就活と悩んだ進路】
 私を含めた7人の仲良しグループは「就職はしない」という約束をしましたが、私以外は全員髪を切り、ネクタイを締めて就活をしました。私は卒業1ヶ月前に中央大学という肩書で就活しないのは勿体無いと思い、焦って就活をしましたが無意味でした。唯一の面接で履歴書の書き間違いを指摘され撃沈しました。あの頃は歯が抜ける夢ばかり見ていました。

大学を卒業してから。大きな転機を迎えるまで

【役者時代】
 卒業後は、ラッパーとしてのキャリアから東京芸術座からオファーがあり、金城一紀原作「GO」の舞台に役者として出演し、日本全国を旅公演で回りました。舞台に参加することでラップという自分自身の経験の独白しかなかった表現方法から、戯曲や日本の古典芸能である講談、落語などに興味を持つようになりました。それによってHIPHOPの落語や詩を創作し、音楽だけでなく活動の幅も増えました。
 充実した芸能活動に手応えを感じつつも、収入が少ないことは不満でした。大学の同期には銀行員や証券マンが多く、卒業して4年ほど経つ頃には、中央大学を出たのにも関わらず、そのキャリアを活かし切れなかった進路に迷いがある時期でした。

【アルバイト営業マンからIT社長へ】

▲ビフォー社長時代~ダンボールデスクで会社を立ち上げた頃

 25歳の時にラップの活動を続けるためにアルバイトで入ったGMOという会社でSEO(検索エンジン最適化)営業をしました。IT企業は新しいサービスが立ち上がるのが早いので経験は必要なく、その都度、営業、サポート、保守などを勉強する機会がありました。売り上げを上げれば正当に評価され、アルバイトではもらえないほどの給料をインセンティブとしてもらえたことに驚きました。私が今まで身につけた言葉の知識や引き出しは、営業するためと思えるほど水を得た魚のように契約が取れました。

 この経験を元に、私は27歳の時にアルバイトの仲間と3人でIT企業を立ち上げました。良いサービスであれば契約が取れるという実感と、IT企業であればパソコンと度胸で始められるという参入障壁の低さもありました。ダンボールのデスクから立ち上げた会社は、2年後には社員とアルバイトを含め62人も雇うほど急成長しました。当時の私はお金を稼ぐことに夢中になりすぎて、恩師である福井 千春教授の葬儀にも行きませんでした。今でも激しく後悔しています。

新自由主義とダイバーシティ

 5年ほど経つと、お金は私の考えも心も大きく変えました。大学時代は民族名を名乗っていたのに、ビジネスを始めることで通称名を名乗るようになりました。私の韓国という属性が不利益になることを、他の誰でもない私が恐れたからです。以前はラップで社会に多様性を訴えていた私は、いつしか利益のみ追求する人間になってしまっていたのです。また当時のパートナーから「私はあなたの家政婦ではない」と別れを告げられてしまいます。ラッパー時代から付き合っていた彼女は、お金が全てになってしまった私に、「あなたはこんなところで終わる男じゃない」と告げ、去って行きました。
 大切な人を失って初めて安らぐことができない人生と、その社会構造に疑問を持つようになりました。そして次のステージを生き抜く価値を探すために世界に放浪の旅に出ました。

▲社長時代~ビジネスに夢中になっていた頃

【アメリカからロシアへ】
 最初にアメリカはニューヨークに向かいました。ラップの生まれた土地に行きたかったのです。
 しかし、いちどやり切ったラップをもう一度やるということはできませんでした。その代わり無条件に世界の人が集まるタイムズスクエアに立ってみると、「稼げる」というイメージだけしか湧いてきませんでした。美容師になった後輩が同じタイミングで来ていて、タイムズスクエアに椅子を置き、路上で髪を切るパフォーマンスをしていました。値段を決めて商売をしてしまえば違法行為になりますが、路上パフォーマンスとしての投げ銭であれば合法だったからです。ニューヨークでは日本人のサロンで髪を切ってもらうと300$ほどかかるので、路上でもみんな50$以上は支払ってくれました。私がマイクとスピーカーを用意して路上で髪を切る宣伝をすると、瞬く間に行列ができ、あっという間に稼ぐことができました。アイディアと度胸さえあれば日本よりもビジネスが成功しやすい場所だと感じました。
 しかし、すぐに日本で生まれたことの利点や店舗の物件探しなどを始めようとしている自分を感じ、お金に執着していた感覚が蘇りました。私は古くからの友人でアメリカで活躍しているコリアンたちを何人も尋ねましたが、皆アメリカナイズされていて、私は彼らにあまり興味を持てませんでした。

 次にロシアで生活しているコリアンである高麗人を訪ねるため、樺太に向かいました。
 樺太では、ロシアで育ったコリアンである高麗人とスペイン・カタロニアで育ったカタルニアコリアンの友人と出会いました。私は日本で育ったコリアンということで、みんな初めて出会ったメンバーでしたが、異邦人として生きる経験は共通していました。そして、アメリカで医者や弁護士として活躍していた彼らとは違って、樺太の仲間とは「季節労働者として働きながら、どこで誰と生きていくのが自分にとって最適なのだろうか」ということを自然と語り合えたことに、私の悩みは自分一人だけのものではないのだと勇気づけられました。
【世界のスラム放浪の果てアフリカ】
 その後、青年海外協力隊でタンザニアに赴任した友人を訪ね、東アフリカで2ヶ月弱過ごしました。
 アフリカでは、「pole(dont mind)とpole pole(slow)」という言葉をよく使います。特に、pole(dont mind)は、例えばバスが1日遅れてもpole、村の娘が病気で亡くなってもpoleと、その意味の幅の大きさに驚きました。アフリカでの体験は、利益の追求に慣れすぎた私にグローバルな原風景を思い出させました。私は私のアイデンティティの問題をラップを通して表現することで救われていました。そしてラップを続けていこうと、ラップによる「エモーショナルリテラシー※」の効果を感じてほしいと思い、ラップワークショップ を実施するようになりました。
※エモーショナルリテラシー=リテラシーとは「適切に理解・解釈し、表現する」という意味。
エモーショナルリテラシーとは「感情を正しく理解・認識し、表現できる力」と言われている。
(出展元:エモーショナルリテラシーセンター公式ホームページ)

▲ロシア・サハリンにて。コリアンディアスポラの高麗人とカタルニアンコリアンとの邂逅(かいこう)

▲エチオピア南部の山岳地帯 コンソ村で


▶パレスチナ自治区の塀の前で

海外でのワークショップ開催を通じて、ラップの表現方法の可能性を確信する

▲日本でのワークショップの様子。撮影:中村智道氏(写真家)

 2018年、カナダ合同教会のバンクーバー青年部との交流プログラムで、ラップワークショップを実施した時のことです。カナダに来て間もないジンバブエとシリアの難民の子どもたちが母語でラップするのを見て、おとなしいと思っていた二人が想いをぶつける姿を見て大人たちがとても驚いていました。その様子を見て私も驚きました。移民を多く受け入れているカナダでは、移民の人々は英語でコミュニケーションをとりますが、英語だけでなく「自分の言葉で自分を表現したい欲求がある」という確信を得ました。

 さらに、”Exchange Program for Regional Integration in East Asia and Europe” から依頼があり、ドイツに渡り、ベルリンとハンブルクでラップワークショップ を実施しました。
 親の再婚によってエジプトで幼少期を過ごしたドイツ人、韓流ドラマの影響を受けて韓国語が喋れるようになったトルコ系ドイツ人、孤児として養子に出された韓国系ドイツ人などが参加してくれました。ドイツでも多くの若者がアイデンティティーに悩んでいたことが分かり、自分の幼少期の悩みや、それによって身につけたラップという表現方法が世界でも通じる手応えを感じました。

 世界の旅を終えた現在は、日本で自身の音楽活動だけでなく、少年院や大学でラップ・ワークショップを実施しています。また詩人としても活動していて、オーストラリアで出版される本の表紙に詩を寄せました。

◀▲▼ドイツ・ベルリンでのワークショップ。        

 後輩の皆さんへ

 あなたが恥ずかしいと思っていることは、誰かの希望になるかもしれません。しかしそれは表現してみなければあなたを含め、誰も知ることができません。表現することにお金はかかりません。もし表現しづらいなら、悩んでいそうな友人の話を積極に傾聴して下さい。それに勇気づけられてあなたは悩みを表現に変えられるかもしれません。
自分を語らなければ、人生は始まりません。


最後に英語で作った「seeds」という詩をプレゼントします。

seeds 

 To seeds over seven seas.
 To all my brothers and sisters underground
 been feelin close and yet so far homeland
 Stories to share still in the shade
 We came from different routes
 but took roots same hood.
 I dream about a big tree
 It seems like your victory
 And it will set me free.
 Set WE free.

 

種よ

  七つの海を越えた種たちよ
 
  近くて遠い故郷(ふるさと)に振り回され
 
  地下で踠き苦しんでいる兄弟姉妹たちよ
 
  語り継がれるべき物語は未だ陰に身を潜めている         
 
  我々はそれぞれ別々のルートを辿って
 
  同じ居場所に根を張った
 
  私は夢を見る  大きな木の夢だ
 
  それはまるであなたの勝利のように

  私の魂を解き放ってくれた時

  我々は⾃由になるだろう
 

▲2022年10月3日のライヴにて

■ プロフィール ■

FUNI |郭正勲さん
Rapper、詩人、「Mewtant Homosapience」のMC 担当。
神奈川県川崎市生まれ。中央大学経済学部卒業。
2002年ラップユニット「KP」デビュー、2007年 SSWS グランドチャンピオン。
2010年よりプロデューサー兼トラックメーカーのOCTOPOD、ラッパーINHAとMewtant Homosapience結成。
現在はライブ活動のほか、少年院などでラップワークショップ開催。

〔出演・監修作品・作品〕
●2004年「NHK「ハングル講座」ラップ講師
●2006年  金城一紀原作『GO』の舞台化において俳優、楽曲の提供。
●マンガ「ヤミ川崎~もがきの境界線~」ラップ監修。
●NHK「ノーナレ/川崎サウスサイドラップ)」(2019年7月放送)出演。
●毎日新聞オンラインイベント「にほんでいきる」(2021年1月開催)出演。
●日本の詩×世界の詩「て、わたし」~第二号 ともに生きるための言葉(2017年発行:てわたしブックス)
●『Outsiders: Memories of Migration to and from North Korea/Markus Bell著』(2021年10月)
●作家、高川和也の作品「そのリズムにのせて」に出演:東京都現代美術館2022年7月16日~10月16日開催の展覧会『MOTアニュアル2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ』にて展示
 東京都現代美術館の展覧会紹介
●作家、飯山由貴の作品「In-mates」に出演(2022年)
 →国際交流基金、東京都人権プラザで上映予定でしたが、中止された作品。これについての記者会見を取り上げた記事。
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●アルバム作品「KAWASAKI2-2 ~ME,WE~」
 →下記のリンクから無料で聴けます。ぜひ聞いてみていただけますと幸いです。
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■ ラップワークショップの依頼は、seikun3@gmail.comまで

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