05 REPORT

【グローバル人材育成推進事業学生啓発講演会】「国連の平和維持活動に対する日本の貢献」を開催しました

2013年11月29日

内閣府PKO講演会

11月18日(月)、内閣府国際平和協力本部の高橋礼一郎事務局長および久保雅靖主査をお招きし、法学部主催のグローバル人材育成推進事業学生啓発講演会を開催しました。これは都留康子法学部教授の「平和学」の授業の一環として実施されたものです。

テーマは「国連の平和維持活動に対する日本の貢献」。国連の役割や日本の国際貢献について、実際に活動された方々の経験を伺うことで、より身近な問題として、平和や国際貢献を考えることが目的です。

はじめに高橋氏が国連PKOとはどのようなものか、またどのように変遷してきたのかを、続いて久保氏が実際に今、PKOとして自衛隊が南スーダンでどんな活動をしているのかを語りました。

講演後には、学生たちから「統合ミッションの難しさとは?」「現地では日本のPKOがどのように受けとめられているか」「NGOとの関わりは?」など様々な質問が飛び交い、高橋氏、久保氏とともに積極的な意見交換を行いました。

講演者プロフィール

高橋礼一郎氏

高橋礼一郎

1980年外務省入省。官房総務課長、国際協力局南部アジア部参事官、アフガニスタン大使などを歴任。現在、内閣府国際平和協力本部事務局局長。

久保雅靖氏

久保雅靖

1995年航空自衛隊入隊。作戦情報部隊、特別航空輸送隊等で勤務。2012年1月から内閣府PKO事務局勤務。UNDOF、MINUSTAH、UNMISSIにおいて連絡調整員を経験。現在、内閣府国際平和協力本部事務局主査。

日本の国際平和協力(国連PKOへの協力)

内閣府国際平和協力本部は1992年に「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法)」が制定された際に設置されました。国際平和協力法は、国連の平和維持活動に資金だけでなく人員、特に自衛隊を送り出すことを可能にするための法律です。しかしながら、当時、武器を持ったまま自衛隊を海外に派遣するということは、憲法第9条との兼ね合いもあり、大変大きな政治的問題でした。 

現在、安倍総理は「積極的平和主義」を掲げています。9月にニューヨークの国連総会で演説をした際にも、日本は国連PKOに、より積極的に協力するということを語りました。

また、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会では、有識者による検討が行われています。各国との新しい安全保障関係の中で、今までの日本の法制度で日本の安全保障は遵守できるのか、もし十分でないのなら、どこをどう見直したらよいのかを議論しています。

この懇談会の中で、国際平和協力本部が担当する国連の平和維持活動に関して2つの課題が取り上げられています。一つ目は、自衛隊が海外で武器を使用する際の権限についてです。

高橋氏によると「今までは、自分と自分の管理下に入った人を守るときおよび、自分の持っている武器を保護する時のみ許されていました。しかし、たとえば日本のNGOの方々が武装集団に襲われたという事態があったとします。その時、たまたま自衛隊がそばにいた、助けようと思えば助けられるが、今の法の下では目の前にいる日本人を助けることができません。本当にこれでよいのでしょうか?」

もう一つは、協力の仕方についてです。日本がしていること自体が武力の行使でなくても、武力の行使と一体化しているとみなされると憲法違反の恐れがあると、高橋氏はいいます。
「たとえば今、フィリピンに日本の自衛隊が緊急援助に行っています。医療部隊がレイテ島で一生懸命、台風で被災した方々の治療にあたっています。これと同じことをPKOでもやることもあり得ます。しかし、医療行為が行われている地域が、他のPKOが戦闘行為をしている地域であった場合、武力の行使とみなして協力ができないということにもなりかねません。これが今の法制度です。」

果たしてそこまで厳しい制限をかけないといけないのでしょうか。あるいはこのまま厳しい制限をかけていくと、積極的な貢献はできないのではないのではないでしょうか。

高橋氏は、「今年あるいは来年あたりに一定の見解が出るだろう」と予測します。「懇談会の見解を踏まえた上で、日本政府は憲法あるいは法の改正について議論することになるはずです。また、その帰結として国際平和協力法の改正も議論されることになるでしょう。」

PKOとは?

もともと集団安全保障というのは、武力行使、武力による威嚇を違法化し、違反国に対しては国連が一致して国連軍による制裁措置をとるというものでした。しかし、これは実質的に機能しませんでした。それは国連の安全保障理事会は15カ国で構成されていますが、そのうち5か国の常任理事国には、いずれも拒否権があるためです。1か国でも反対をすれば、安全保障理事会自体は強制力のある決定ができないのです。 

しかし、実際に紛争が起こった時に何もせず傍観しているわけにはいきません。そこで、国連ができる安全保障として構想されたのがPKOです。国連軍とは異なり、現実に紛争が終わり、停戦合意が成立したとき、それがきちんと守られているかどうかを各国の部隊が編成する平和維持軍が監視するというものです。国連憲章との関係では、憲章には記載されていませんが、6章は非軍事的措置、7章は軍事的措置を定めており、そのちょうど中間に入るということから6章半といわれています。

現在、PKOは世界15か所で活動していますが、日本が協力しているのは、国連南スーダン共和国ミッションです。

PKOの規模自体は、2013年末で約10万人、予算は約75億USドル。2004年に比べて人数は倍、予算も3倍に増えています。

PKOの変遷

高橋氏はPKOの変遷について、次のように述べます。「第一世代は、小規模部隊が停戦監視をするもの。第二世代は複合型で、単なる停戦監視だけでなく、紛争後の様々な業務に対応するもの。第三世代は強制型・平和執行型で、停戦後の業務だけでなく、紛争を終わらせることそのものに関わるというものです。これは中立の第三者ではなく、紛争の当事者みなされ、結果としてうまくいきませんでした。その最も大きな失敗例がソマリアです。」 

国連ではPKOの発足以来、そのあり方についての研究が継続して行われてきました。その中で最も成果を出したといわれているのは、2000年のブラヒミ・レポートです。これは、当時のアルジェリア外務大臣が中心になってまとめたもので、PKOに過大な期待をせず、国連安全保障理事会の政治的サポートの上で、現実的な役割を与えられたときにはじめて機能するとしたものです。

PKOは現在、第4世代また複合型、多機能型の観念に戻ってきていると高橋氏はいいます。「最近、国連のこうしたミッションのことを“統合ミッション”と呼んでいます。PKOのくくりにとどまらない様々な業務、たとえば人道、復興開発支援、NGOとの連携など、日本のPKOで展開されている15の事業の大多数も統合ミッションです。」

このように、現在は当初のPKOのミッションとは相当形が変わってきています。そのため、協力する各国も新たなPKOにふさわしい準備をする必要があります。

ところが、日本においては、PKO参加の5原則にのっとって行動することが求められています。特に、停戦の合意、他国が参加に同意、中立的な立場であること。これが満たされないと撤収しなければなりません。武器の使用も必要最小限と定められています。しかし、「現実的には難しい状況である」と高橋氏は指摘します。

「PKOがどこまでできて何ができないのかを明らかにする機会が今来ています。多くの安全保障の問題は法律や制度で縛るのではなく、その場の政策判断としてやることのほうが重大な対応ができると思います。法律で縛られてしまうと身動きが取れません。憲法は国の根幹として大変重要なものですが、同時に安全保障と外交というのは時代が変われば背景も変わりますから、その時々の環境に合わせていくことが大切です。ですから今後、憲法解釈の問題とどうすり合わせていくのか。この機会に集団的自衛権の問題も含めて、安全保障と法律規制、日本の憲法改正について自身の意見を持ってもらえたらと思います。」

日本のPKOによる国連南スーダン共和国ミッション

国連南スーダン共和国ミッションにおいては、日本のPKOはジュバ国際空港に駐屯し、施設部隊が排水溝の整備や敷地の造成などの土木作業にあたっています。

最初は首都であるジュバだけで活動していましたが、ニーズが多かったため、現在は東西エクアトリア市に活動地域を拡大しています。

久保氏によると「ガバリ地区では、雨期の雨によって道路が浸食し、川のようになって、人が通るのも大変な状況になっていました。そこにゴミを捨てて、衛生的にも決してよい状況ではなかったので、地域住民にも手伝ってもらい、ゴミを集めて整地し、道路脇に側溝を作って道が浸食しないようにしました。側溝は石を積んで作っていますが、これは現地で手に入りやすい素材だったこと、PKOが撤退した後も、現地の人たちで同じように補修できるということで採用しました。また、北スーダンからの帰還民が一時的に滞在する施設も試行錯誤しながら建設しました。私の駐在している時期に基礎を作り始めて、帰るときに完成しました。」

その他にも、子どもたちに参加してもらい、横断歩道の舗装をしたり、川に橋をかけ小学校へ通う子どもたちが渡れるようにしたりと、PKOの仕事は多岐にわたっています。また、時期に合わせて様々なイベントも開催し、日本の文化紹介を行っています。

そうした中で、久保氏自身は、内閣府の事務官として連絡調整員の業務にあたっていました。「毎週、現地の日本大使館と内閣府、自衛隊、JICAが集まって会議を行い、今後どこでどのような活動をすべきか、誰が担当するのかを情報共有していました。」

内閣府では災害が発生した際に物資協力ができるように、スリーピングマット、毛布、ポリタンク、ブルーシート、テントなどを備蓄しています。これらを南スーダンの難民のための支援としても用意したといいます。普段なかなかみられない実際のPKO活動について、久保氏は様々な写真を交えながら詳しく紹介しました。

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