辻⽒は、中央⼤学法学部に在学中から「グローバルな舞台で働きたい」という夢があり、⻘年海外協⼒隊に応募しました。⽂系の法学部出⾝のために、開発途上国でニーズの多い技術や知識をもつ理系出⾝者に⽐べて職種の分野は限られていましたが、卒業した年に「⻘少年活動」の職種で採⽤されました。派遣された太平洋のミクロネシア連邦では、⽂化、習慣の違う国で⼦どもたちにドッチボールやポートボールなどを教え、2年間の任期中にさまざまな経験を積むことができたといいます。そして帰国後は、海外でさらなる活動を⽬指すために、⼤学院に進学。修了後、JICAで3年間、⽇本政府のODA事業スキームのひとつである「無償資⾦協⼒事業」に従事しました。⼤学時代に履修した「国際法」の授業で学んだ「難⺠の保護活動」への思いが⼤きくなり、JICAで勤務した後、国連難⺠⾼等弁務官事務所(以下︓UNHCR)へ移りました。
UNHCR では在任中の5年間に、イラクとマレーシアに駐在しました。イラクでは、イラン系クルド難⺠を、マレーシアでは、現地警察や⼊国管理局に逮捕されたアフガニスタン⼈、ミャンマー⼈、インドネシア⼈等の難⺠の保護活動に従事。いずれの国でも、難⺠の第3国への再定住をすすめたり、不法逮捕等の釈放要求を担当しました。この業務では、関係機関との交渉が必要不可⽋で、それにはハイレベルな交渉力が要求される、とてもエキサイティングな⽇々だったようです。またイラクでは24時間秘密警察に監視されながらの毎⽇で、精神的な重圧はかなりのものだったといいます。そして、UNHCRでの任務終了後には帰国し、外務省でヨルダンとスーダンの担当官を務めました。