05 REPORT

総長として日中青年友好交流訪中団に参加して

2016年02月02日

中央大学大学院博士後期課程
NPO法人東京自由大学理事
辻 信行
 話は突然やってきた。中央大学で中国語の講師を務める、(かく)燕書(えんしょ)先生(明治大学経営学部教授)から届いた一通のメールには、中国大使館が後援する「日中青年友好交流訪中団」が参加者を募集しており、推薦するのでぜひ応募するようにと書かれていた。締め切りまで、あと4日しかない。二つ返事で了承するとすぐに応募し、当選の知らせを受けた9日後の2015年12月23日、わたしは厦門へ向かう機中にいた。
 今回の訪中団は、日本華人教授会議と一般社団法人日中科学技術文化センターが合同で主催し、中国大使館が後援している。参加者は、両主催団体から推薦を受けて応募し当選した141名の学生と社会人。A・B・Cの3コースに分かれて訪中し、現地で大学交流や企業訪問、景勝地見学を行うというものだ。わたしは、厦門、福州、武夷山、上海をめぐるCコースに当選し、総勢48名のメンバーを取りまとめる総長に指名された。
 以下、総長として参加した訪中団での一週間を、順を追って報告することとしたい。

★1日目:12月23日(水) @厦門

 厦門高崎空港の外に出ると、雨季のために街全体がもやに包まれていた。気温23度、湿度97%の気候は、東京の12月下旬と大きく異なる。わたしたちは宿泊先のスイスインターナショナルホテル厦門に荷物を置くと、街一番の繁華街、中山路に繰り出した。
 中山路はコロンス島の対岸に位置し、2階以上の部分が歩道の上まで延びている華南地方特有の建物が並んでいる。屋台では黄遠堂鳳梨酥などの台湾を代表する銘菓も売られ、ここが台湾と距離的に近いことを感じさせる。
 夕食は福建料理レストランに行った。福建料理は日本人の舌に合うあっさり目のシーフードが多い。しかし初日の夜は、四川風の辛い味付けの料理も多く、訪中団の中には四苦八苦しているメンバーもいた。唐辛子と花山椒が大好きなわたしとしては、この上なく素晴らしいディナーとなった。

★2日目:12月24日(木) @厦門

 朝、まずは南普陀寺を見学する。南普陀寺は唐代に建築され、1000年以上の歴史を誇る臨済宗の禅寺である。たび重なる破壊と再建が繰り返われ、現在は僧侶の教育機関としても知られている。敷地面積3万㎡以上の境内には、放生池、天王殿、大雄宝殿、大悲殿、法堂、鐘楼、万寿塔などが勇壮に建ち、南国的な自然景観とコントラストを成している。
 続いて、わたしたちはすぐ近くにある厦門大学へ、交流会をするために向かった。会場に到着すると、陈芳副教授が英語で歓迎の意を表してくれた。前夜、訪中団のわたしたちは中国語で挨拶しようと決めていたので、わたしは総長として以下のようなスピーチを行った。

 今天,衷心感谢邀请我们日中青年友好交流访华团一行参观访问历史悠久的厦门大学.
 我们一行昨天刚刚到达厦门.我们看到了融合了东西文化的这个城市充满了魅力.
 我们为对岸的鼓浪屿的美丽自然的风光所吸引.今天听了有关厦门大学的介绍激起了我们想到这里来留学的强烈愿望.
 今天来到这里的我们一行全体人员都非常喜欢中国.大众媒体有关日本人反中的报道.不代表一般日本大多数人民的意见.我们这次访华团定员是30名.但在非常短的时间内居然有314名报名.这反映了日本的学生,一般社会人热爱中国的心情.我们实现了多年来想访问厦门的愿望非常幸运.充满幸福感.在次向厦门大学的全体师生再次表示深切的感谢.
 我们作为民间人士,我们原做中日友好的桥梁为推动中日友好关系不断向前发展添砖加瓦.贡献力量.多谢!感谢!
 ↑厦門大学でスピーチする筆者

 本日は、歴史ある厦門大学にお招きいただき、心より御礼申し上げます。
 わたしたちは昨日、厦門に到着したばかりですが、この街の洋の東西を融合させた文化と、対岸に浮かぶコロンス島の美しい自然にすっかり魅了されています。そしていま、厦門大学についてご紹介頂き、早くも留学したくなったところです。
 本日、ここを訪れたわたしたちは、全員が大の中国好きです。マスメディアで報道されているであろう日本人の反中的な動向は、決して多数派によるものではありません。それは、今回の訪中団の定員が30名なのにも関わらず、314名もの日本人の学生と社会人が、ここ厦門を訪れたく、応募したことからも明らかです。幸運にも念願の厦門訪問を果せたわたしたちは、いま、幸せで満たされています。今一度、厦門大学の皆さまに深く御礼申し上げます。
 そしてわたしたちは、政府レベルでどのような対立が起きようと、共に手を携えて、中国と日本の架け橋になろうではありませんか。
 いま、ここから、わたしたちの友情が永遠(とわ)に育まれますことを心から祈っております。本日は誠にありがとうございました。
 
日中青年友好交流訪中団 総長
辻 信行

 厦門大学は、国家重点大学に指定された中国有数の総合大学で、現在26学院66学科に約4万人の学生・大学院生が在籍している。2014年には中央大学と海外協定校として締結を結んだ。瑠璃瓦のクラシックな建物が並ぶ厦門大学の広大なキャンパスには、かつて教鞭をとった魯迅の記念館も建っている。南国的な植物が美しいキャンパスを、日本語学科の学生さんの案内で散策する。案内してくれた女子大生は、中央大学に関心を持っているそうだ。彼女の友達が法学部に留学していたと言う。ぜひあなたもいらっしゃいと、にこやかに話した。
 
→ 集合写真 (厦門大学にて)

 午後は、対岸に位置するコロンス島にフェリーで渡った。コロンス島は、面積1.78㎢の小さな島である。ここに、2万3,000人の島民が暮らしている。島内には租界時代の洋館が保存され、それを囲むように緑が広がっている。ピアノの普及率が高く、「ピアノ島」と呼ばれることでも名高い。わたしたちはコロンス島で最も標高の高い日光岩を目指し、えっちらおっちら階段を上ってゆく。途中、新婚カップルが何組も記念撮影している教会を通り過ぎ、元気なおじいさんから「人生で最も大切なことは、1に健康、2に家庭円満、3に勤勉勤労!」などと演説をぶたれたが、それにもめげず、20分ぐらいで頂上に辿り着いた。そこからの眺望は、もやに霞んでよく見えない。しかし雨季特有の独特の美しさがあった。手前には赤い建物の連なるコロンス島の歴史地区が、奥には蜃気楼のように霞んだ厦門市街の近代的な超高層ビル群が見えた。

★3日目:12月25日(金) @福州

 厦門から福州へはバスで3時間。その車中、訪中団のメンバーが、一人3分ずつ自己紹介をした。学生と社会人が入り混じり、専門と職業もバラエティーに富んでいる。また、初めて中国を訪れるビギナーもいれば、20回以上訪れているエキスパートもいる。中央大学からはわたしの他に、経済学部3年の北野晶久さんと増田孝男さんも参加している。
 福州に到着すると、まずは木工製品を取り扱う創之源社を企業訪問した。ショールームにズラリと並べられた1個数十万円のテーブルたちは、重厚で木の温もりを感じ、隣の部屋には元々の木の形状を生かした仏像と彫像が所狭しと置かれている。副社長の伍铃烽さんによると、福州は古くからものづくりの街として栄えてきたらしい。

↑創之源社のショールーム

↑集合写真 (創之源社にて)

 続いて、福州大学機械学院へ大学交流しに向かった。交流会に使われた部屋には立派なテーブルが置かれ、まるで日中首脳会談が始まりそうな気配に満ちている。ホスト役になって歓迎してくれたのは、かつて長崎大学に留学していたという陈砚教授。日本語で挨拶を交わした。福州大学の学生代表として、日本語学科で学ぶ青年が一人来てくれた。彼は日本に留学したいそうだ。本当はアメリカかヨーロッパに留学したかったそうだが、諸事情によって留学先を日本へ変えたらしい。日本人の中国に対する印象が悪いのではないかと心配しているので、訪中団のわたしたちは、全くそんなことはないと彼を励ました。その後、キャンパス内で開発している人工鯉型ロボットや、ドローン風小型無人機、脚立から台車に早変わりする便利な道具類などを見学し、福州における現代のものづくりの実態を学んだ。
 

→ 福州大学機械学院でスピーチする筆者

↑福州大学機械学院にて

↑集合写真(福州大学機械学院にて)

 夜は、明・清時代の伝統的な建物を保存・修復している繁華街、三坊七巷で班ごとの自由行動で夕食をとった。三坊とは、衣綿坊・文儒坊・光録坊の3つの通り、七巷とは、揚橋巷・郎官巷・塔巷・黄巷・安民巷・宮巷・古庇巷の7つの路地のことを指している。伝統的な骨とう品や書画を売る店から、ポップな洋服屋さんまで幅広い店舗が並んでいる。わたしたちの班は、メインストリートの一番奥にあるステーキ屋さんで、牛肉を食した。八角風味のため、中華料理を食べている気がしてくる。全領域の食を中華に融合させてゆく文化はさすがである。

★4日目:12月26日(土) @武夷山

 福州からバスで4時間、世界遺産の武夷山に向かう。黄山・桂林と並び、中国人が人生で一度は訪れたいと思うのが、武夷山だ。ここは高質な茶の産地として知られている。わたしの学部時代の指導教授で、日中の茶文化を研究している彭浩先生(中央大学総合政策学部教授)は次のように語っている。
 「武夷山のお茶は有名ですね。とくに標高の高い岩地で栽培された武夷岩茶は薬効があることで知られています。武夷岩茶には、大きく分けて烏龍茶と紅茶があるけれど、紅茶の方がお薦めです。品種は、正山小種もおいしいけれど、一般に出回っているものでは、金駿眉が最高級ですよ」
 なんでも金駿眉は買おうと思えば日本でも買えるが、武夷山の現地で売られているものとは全く質が異なるという。武夷山の茶は、明代から中国茶の最高級品として知られるようになり、はるか遠く北京の皇帝まで献上された。いまでも政府関係者に買い占められる「大紅袍」という品種には、とくにその名称の由来を巡って、様々な逸話や伝説が伝えられている。
 わたしたちは、武夷山の製茶工場の2階にある実演販売所に案内された。まずは烏龍茶を試飲させてもらう。口にした瞬間からこの上なく爽やかな香味が通り抜け、明確な味の変化が絵巻物のように展開し、それは岩韻と呼ばれる後味まで続いてゆく。続いて正山小種。いわゆる「紅茶」とはかなり違う味わいで、烏龍茶と紅茶のハーフといった感じだ。世界三大紅茶として知られる中国の紅茶、キームンに似ていると思った。

↑九曲渓下り

 茶を販売するテーブルの上には、烏龍茶と正山小種の箱が山のように積まれ、その隣に赤い缶が少しだけ置いてある。よく見ると「金駿眉」と書いてある。
 こうして無事にわたしは金駿眉を手に入れることができた。ちなみに、帰国後に金駿眉を飲んでみると、やはり正山小種とは雲泥の差があった。その奥深さ、まろやかさ、確実に寿命が延びそうな霊妙な味わいに心から感動した。
 武夷山に着いた初日は、竹で作ったいかだによる九曲渓下りを楽しんだ。岩山の間を蛇行して流れるコバルトグリーンの九曲渓を、約1時間半、くだってゆく。途中、9つの大きな曲り角を通り抜け、カエルの岩や顔面岩、横穴墓風の岩などの奇岩を眺める。


 夜は、チャン・イーモウ監督がプロデュースした野外劇、《印象・大紅袍》を鑑賞した。360°回転する客席の周囲で、武夷山を背景に総延長1.2kmの世界最長の舞台が展開し、最高級茶の大紅袍に関する故事をもとにした壮大なスペクタクルショーが繰り広げられる。竹林でアクロバティックな任侠があり、宮廷で女官たちが艶やかに舞い、何段にも重なった茶畑で歓喜の歌がうたわれる。ショーの最後では、俳優たちが客席にやってきて茶をふるまい、「なにかと苦悩が多い日常も、この一杯の茶を飲めば、たちまち幸福で満たされます!」と繰り返し、観客も総立ちになって「わたしは幸福になりました!」とみんなで叫ぶ。実に印象的な一夜となった。

★5日目:12月27日(日) @武夷山

 昨日、いかだから見上げた岩山、天遊峰に登頂することとなった。ここは武夷山水を眺望できる絶景として知られる。約1時間かけて険しい階段を登り切り、一覧亭に辿り着くと、そこには水墨画のような世界が広がっていた。

→ 武夷山天遊峰より

 人々が願いを書いて木の枝にくくりつけた赤い布切れがはためく道教寺院で参拝し、午後は大紅袍景区に向かう。大紅袍は、前述した通り武夷山で最高級の茶であり、現在でも母樹6本が残され、見ることができる。岩壁の途中にある小さな空間に、ひっそり生える小さな古木を見上げ、その何気ない佇まいに、すべてはここから始まったのかとジワリ感動が込み上げてくる。
 近くにある武夷山唯一の禅寺、永楽禅寺も参拝し、儒仏道の聖地として武夷山を実感した。
 夕食には、武夷山の山の幸を頂いた。ウサギやカエル、スッポンの肉である。とくにスッポンは、丸ごとスープの器に入れられて出てきた。コラーゲンたっぷりのプルプル食感、上品で奥深い旨みが美味であるが、訪中団の女子大生の中には、スッポンを見ることにも耐えられず逃げたり泣いたりする人が頻出し、レストランの中は大騒動となった。今回の行程の中で、最も愉快な食事であった。
 夕食後、わたしたちは高速鉄道に乗り込み、約3時間かけて上海に入った。
 
←永楽禅寺
 

★6日目:12月28日(月) @上海

↑季卫东教授と筆者

 上海で丸一日過ごすこの日は、怒涛のスケジュールである。まずは上海交通大学へ大学交流に向かう。出迎えてくれたのは、季卫东教授、蔡玉平さん、张芮宁さん。皆さん流暢な日本語で歓迎してくださった。とくに季先生は法学博士ということもあり、中央大学のことをよくご存知だ。上海交通大学と中央大学は、2011年に海外協定校の締結を結んでいる。上海交通大学は、厦門大学と同様に国家重点大学の一つであり、理工系の大学では難関大であり、江沢民元国家主席の卒業校としても知られている。わたしたちはキャンパス内にある航空機や船舶の部品を研究開発しているセンターを見学した後で、中国人初のノーベル物理学賞受賞者の名前を冠した李政道図書館を訪ね、その博物館スペースで氏の業績に接した。


←集合写真
(上海交通大学にて)

 その後、豫園近くで点心に舌鼓を打ってから、豫園を見学した。豫園は、1559年に四川省の役人・潘允端によって18年間かけて造られた江南式庭園である。親孝行のために造園された約2万㎡の敷地内では、三穂堂、仰山堂、龍壁といった歴史的価値の高い建築物や、太湖石や玉玲瓏などの銘石を楽しむことができる。
 隣接する豫園商城は、昔ながらの町並みになっており、雑貨屋、菓子屋、西洋鏡屋など様々な店がひしめき合い、魑魅魍魎の感を醸し出している。
  その後、一行は租界時代の建物が立ち並ぶ外灘から浦東を眺め、上海きっての繁華街、南京路を速足で通り抜けると、夕食会場の新疆ウイグル料理レストランへ向かった。ここでは、訪中団のA・B・Cの全てのコースのメンバーが合流し、これまでの一週間を報告し合った。回族のダンスショーを見ながら、羊肉をふんだんに使った料理を楽しんだ後、我々は上海雑技団のショーを鑑賞し、伝統的な皿回しから最新式のバイクショーまで、幅広い技芸に目を見張った。

★7日目:12月29日(火) @上海

 いよいよ最終日の朝を迎えた。この日は午前中に上海浦東空港から帰国の途につく。空港へ向かうバスの車中、参加者全員が一週間の感想を述べ合った。そのなかで感じたことは以下の点である。
 まず、果敢に中国語で現地の人々と交流するメンバーが多かった。たとえば写真を撮り合って、「我是你的朋友!」(わたしはあなたの友達です!)などと言う。そうすることで、各人にとって中国が、そして相手にとって日本が、より身近な存在となっていった。
 次に、訪中団の中には、初めて中国に行くというビギナーから、何度も訪れているというエキスパートまで存在した。エキスパートはバスの車内や訪問先で積極的にレクチャーを行い、ビギナーの中国理解を格段に深めることとなった。
 そして訪中団には、学生と社会人が混在していた。とくに玄人向けとも言えるCコースは、社会人の割合が他のコースよりも多かった。普段出会うことの少ない学生と社会人が深く交流し、今後につながるご縁を結ぶことができた。
 今回の訪中団の経験により、中国に留学や就職を考えたり、個人的に訪中し実現可能なレベルで「日中友好の架け橋になろう」とするメンバーが急増した。急ピッチで準備が進められた今回の訪中団であったが、成果はとても大きかったと言えよう。

★大使館報告会:2016年1月22日(金) @元麻布

 帰国してから約1か月後に、元麻布の中国大使館で訪中団の報告会が開催された。公使の劉少賓氏、政治部公使参事官の薛剣氏らの臨席のもと、わたしはCコースの総長として今回の訪中団の成果を報告した。その後の昼餐会では、薛剣氏から「日中関係の未来に希望を感じる報告でした」と直接声を掛けて頂いた。
 次回、第2回目となる日中青年友好交流訪中団が実現した際には、ぜひ多くの中央大学の学生・院生・卒業生の皆さんにもご参加頂きたいと、切に願っている。

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