05 REPORT

第1回タイ短期研修プログラム報告書

2016年11月07日

 第1回タイ短期研修プログラム「タイで体感!国際協力・ボランティア」参加学生による参加報告書が完成しましたので、お知らせします。
 タイ短期研修プログラムは、海外にて学生たちの異文化理解を促進するとともに、日本の国際協力やNGO等による社会的弱者への支援活動などについて理解を深め、ボランティアを体験するプログラムです。第1回目は2016年2月11日(木)~20日(土)に実施され、13名の学生が参加しました。
 報告書には初めての海外渡航やボランティアの様子のほか、現地で気付いたタイの経済成長と格差など、学生たちが肌で感じた発見、驚きがまとめられています。プログラムの概要とともにご紹介していますので、是非、ご覧ください。

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P1 目次
P2 はじめに
P3~4 1.中央大学タイ短期研修プログラム概要
P5~19 2.タイ現地研修活動報告
P20~42 3.参加者の報告
P43 4.中央大学タイ短期研修プログラムに同行して感じたこと
P44~48 5.事前研修の概要
P49~57 6.タイ短期研修プログラムの意義
P58 あとがき
下記に、報告の一部を抜粋します。

参加者の報告(要約版)

クロントイ・スラム 子どもたちと遊び場

理工学部人間総合理工学科1年
池田 木綿奈
 タイ短期研修プログラムでは、現地でボランティア活動をしている方々と接する機会が得られた。彼らの目を通したボランティアを学ぶことで、実際にボランティア体験する以上に現実的に受け止められ、濃密な時間を過ごすことができた。また、様々な事情で施設に保護されている子供と交流する活動では、何の苦労もなく育ってきた学生の自分には計り知れないほど大きな苦労を背負った彼らのことを知るにつれ、胸が締め付けられそうになった。そして屈託もなく笑いかけてくれる彼らに、こんな私でもささやかながら何かできるのではないかという考えにいたった。とはいえ、日本にも同類の施設は多数存在する。なぜ、あえてタイで活動するのか自分のなかで混乱していた。そういう私に、研修に同行してくださった小川客員教授が教えてくださった。
 「『何処でボランティアするか』よりも『どうしてボランティアがしたいか』が必要なわけであって、支援する本人が『継続して活動したい』と思えれば場所は何処でもいのじゃないかな?」
 この一言が私の中で大きな気づきであった。自分が勝手に、国の違いというだけで大きな線引きをしていたのではないか。文化の違いならば日本国内にも存在することであり、言葉が通じる状態でも気持ちが通じ合わないことはよくあることだ。海外渡航経験が今までないがために、いつの間にか考えが小規模になっていたようだ。国外国内の差ではなく、どこで活動し何を学んでくるかが大事なのだ。
 この研修ならではといえば、観光では決して触れ合えないであろう人や場所に引き合わせてもらえたこと。その1つとして、身分証明することもできない貧困層の生活を間近で見た。テレビや新聞などメディア媒体を通じての知識はあったものの、実際に訪れることで、目で見て肌で感じることで今までとは違う痛烈な衝撃を受けた。スラム街は女子1人で行くのには相当の身の危険を感じてしまうが、大学の保護の下だからこそ経験できたと思っている。その時のスラムの用水路から漂う異臭は、ひと月たつ今も鼻の奥に残っている。
経済学部国際経済学科1年 小山 正恵
 このプログラムに参加したきっかけは、私自身、もともと発展途上や貧困という問題に関心があり、今回のプログラムでは、タイの経済発展の裏にある貧富の格差などについて、実際に自分自身の肌で感じることができると思い、参加を決意しました。
 私たちは「生き直しの学校」カンチャナブリー校を訪問しました。そこでは、5~20歳までの女の子たちと5~12歳までの男の子たちが共に暮らしており、家庭内暴力や親が子どもを育てられない状況、親がすでに亡くなってしまっている子どもたちを保護しています。私たちは子どもたちと一緒にバドミントンや折り紙をしたり、踊ったりもしました。一緒に過ごす時間は本当に楽しくて、あっという間に時間は過ぎ、お別れの時には「また会いに来て」と言ってくれ、その言葉に本当に胸が熱くなりました。
 タンヤポーン女児施設では、6~18歳までの、家庭内暴力や性的暴行などを受けた少女たちが共に暮らしており、心のケアや体のリハビリ、また、社会復帰を目指して様々な職業訓練を受けたり、学校に通ったりしています。ここでは、タイの地方ごとの色とりどりの民族衣装でその地方ごとの歌や踊りを披露してくれ、とてもきれいで素晴らしいものでした。その後、一緒に職業訓練を体験したり、お昼ご飯を食べたりしました。その中で、一緒に作業をしたある女の子が「自分にとって一生の思い出になった、名前を教えてほしい」と聞いてきてくれたと聞いて、私は心の底からうれしく思い、本当に感動で胸がいっぱいになりました。
 タイ全体としては経済も発展し豊かになってきてはいますが、一方で貧富の格差は拡大していき、国籍を持たない子どもたちも多く存在し、地方では麻薬密売や人身売買などの犯罪が後を絶たない状況です。そんな中でも、親を亡くしたり、家庭内暴力などによって心に傷を負ったりした子どもたちは、そのような背景があるにもかかわらず、本当に笑顔がきらきらしていて、とても人懐っこくて、私はその笑顔にとても心動かされました。
 今回の研修を通して、どうしたらこの子たちの笑顔を守れるのか、また、今学生の自分にはいったい何ができるのかを改めて考えさせられました。自分が将来進むべき道として、このような人たちの力になれる道に進みたいと強く思いました。今回のタイ短期研修は、私にとってとても良い経験になりました。

カンチャナブリ 「戦場にかける橋」クウェー川鉄橋にて

法学部法律学科1年 知念 竜馬
 私がこのタイでの短期研修プログラムに参加した理由は、将来は国際協力に携わるようなことをしたいと考えているので何かきっかけになればと思い、今回のプログラムに参加しました。また、時間のある学生時代のうちにたくさん海外に行きたいと考えていたのも理由の一つです。
 私がタイに来て驚いたことは、やはり、私の想像以上に発展しているということです。プログラム参加以前はタイと聞くと、あまり発展していなくて少し貧しい国というのが私のタイのイメージでした。事前研修などであらかじめタイについて調べていくうちに私のイメージとは少し違うなと感じましたが、実際にタイに行ってみると、首都であるバンコクは高層ビルなどの建物がたくさん立ち並び、電車やモノレールといった交通機関や車の交通量も多く、非常に発展していてとても印象的でした。バスの中から見るバンコクの景色に圧倒されたのを覚えています。しかし、ビルが立ち並ぶ都心から少し外れたところに今回訪問したようなスラムがあり、同じバンコクでもこれほどの貧富の差があるのだということを実感しました。タイにもスラムがあるということは知っていましたが、想像以上に発展している風景を目の当たりにした後だったので、都心とスラムのギャップはより大きく感じられました。
研修では、生き直しの学校や女児保護センターで子供たちと触れ合う機会がありました。最初、私は子供たちに対して、彼らには親がいなかったり離れて暮らしていたりするので、悲しみや同情といった感情がありました。しかし、私たちがバスを降りた瞬間に走ってきた子供たちを見ると、そんなものは感じられませんでした。歓迎から別れるまでの間、ずっと元気よく私たちと遊んでくれました。彼らの方が辛い立場であるはずなのにその明るい姿に、逆に私たちの方が元気と勇気をもらいました。そして、将来はこのような子供たちのためにも力になりたいと思いました。
 今回のタイ研修プログラムは10日間とあっという間でしたが、とても充実した研修内容で貴重な体験をしました。タイ研修を通して、現地でしか知り得ないことも学び、また一つ視野を広げることできたので、今後の大学生活に生かしていきたいです。

水上マーケット 船で揚げバナナを売る

法学部政治学科4年 富井 佳織
 正直、まだ1年生だったら良かったなと何度も思いました。今回見学した施設でのインターンやボランティアなど、やってみたいと思うことが次々浮かんだからです。ただ、私にとっては今このタイミンクだったのだろうと思います。タイ渡航前に行われた事前研修での「良い企業に就職することだけが目的なのではなく、自分のやりたいことを模索したり挑戦したりすることが本来あるべきなのだ」という言葉に強く共感しました。私は自分のできることで、世界のフィールドで役に立ちたいです。今私がやるべきことは、仕事を一生懸命やって自分を磨き、役に立つ人材になること、そして途上国の貧困問題、特に子どもに関わる活動をすることです。この研修に参加しなかったら、仕事の忙しさにかまけて、夢は即座に諦めていたかもしれません。目標を確信できたことが、今回の研修で得たものです。
 「クロントイ・スラム」を実際見学してみて、本当に驚きました。行く前に予想していたより発展していたバンコクのビル街のすぐ裏は、日本では見ないような粗末な家が立ち並んでおり、その間はすれ違うのが大変なくらいのせまい間隔しかありませんでした。側溝には汚れた水がたまり、子供たちは瓦礫だらけの空き地ではだしで遊んでいました。一人の男の子が学校に行くためにID取得の手続きをするから、といって彼の母親のところに連れて行ってくれました。暗い部屋の奥からでてきた疲れきった母親の顔を見た時、とてもショックを受けました。その男の子の父親はいません。兄弟は複数いて、まだ小さな子もいました。母親の様子をみて、きっと彼女は生活が手一杯だし、子供たちも十分な愛情が注がれていないのだろうと思いました。生きていることがしんどいように見えました。結局手続きは、疲れているから無理だと断られていました。
 私は研修中、いろんな所に行くたびに風景やみんなの写真を撮っていましたが、クロントイでは撮ることができませんでした。なぜならそこは彼らの生活圏で、日常であり、部外者である私たちがジロジロと見て回ること事体嫌な気分になるし、ましてやそれを写真に収めることなどできないと思ってしまったのです。他の学生たちの雰囲気も変わりました。口数が減り、少し険しい表情になっていました。どんなことを話して、どんな表情でいるべきなのか戸惑いました。そんな中お互いに話したのは、こういう現状があるということをより多くの人が知ることは改善への第一歩であるし、自分と比べるのではなく、敬意をもって接する事が大事だということです。

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