05 REPORT

青年海外協力隊(タイ)の任期を終えて

2018年12月19日

雨宮 泰然
中央大学 経済学部経済情報システム学科 4年 
  

青年海外協力隊の派遣任期を終えて、2018年6月に帰国しました


<派遣先>
タイ王国 チュラポーン・サイエンス・ハイスクール・パトゥムタニー校
<期 間>
2016年6月下旬~2018年6月下旬
<案 件>
中央大学内募集案件/2015年度青年海外協力隊(職種:コンピュータ技術)
 
 

タイでの活動がスタート

 2016年6月から2年間、中央大学・JICAタイ事務所・タイ教育省の三機関で実施する連携案件の青年海外協力隊員(職種:コンピュータ技術)として、タイ王国チュラポーン・サイエンス・ハイスクール・パトゥムタニー校に派遣され、9月から本学に復学しました。大学に戻り学業を再開できることに喜びを感じつつも、充実したタイでの活動が終わってしまったことに対して少し寂しさやタイへのホームシックを感じています。

▲派遣して最初に立ち上げたコンピュータクラブの様子

 私が派遣されたタイ王国 チュラポーン・サイエンス・ハイスクール・パトゥムタニー校は、1993年にチュラポーン王女殿下の誕生日を記念してタイ全国に12校が設立された国立校のうちの一校で、技術系の優秀な人材の育成を目的とした全寮制の中高一貫校です。

  学校は首都バンコクの北に隣接するパトゥムターニー県にあり、車なら約2時間でバンコクに行けます。また、全寮制ということもあり教員用の部屋を使わせてもらえましたし、食事は学食で朝・昼・晩が提供されるなど、タイで活動する他の隊員と比べると、恵まれた環境でした。週末は学食が休みなので、同僚に頼んで車で市場に連れて行ってもらい外食したり食材を購入して自炊していました。学校の周囲には何もなくて最寄りのコンビニエンスストアまで10キロ離れていたことぐらいは少し不便に感じることもありました。
 私が担った派遣の主な業務は、プログラミング演習の授業で先生をサポートして生徒に教えることでした。赴任して1か月は、教員やスタッフと仲良くなり、生徒や学校の様子を見ながら、この学校に足りないことや改善すべきこと等をリサーチし、タイ語の学習に力を入れていました。この高校には、教員が約90名いますが、外国人教師はドイツ人とフィリピン人、日本人は私ひとりだけでした。先生や生徒の多くが英語を話せないので、コミュニケーションはタイ語です。JICAの派遣前研修ではタイ語を猛特訓し、生活で使うタイ語はなんとか話せる程度になりましたが、誰かにタイ語で質問してもその回答を聞き取れない状態だったので、必死でタイ語を勉強していました。
 
 タイ語にも慣れ、教員スタッフと仲良くなった頃に、まず着手したことが「クラブ活動」です。タイの学校には日本の部活のような放課後活動はなく、授業後は皆が自由に過ごしています。日本の部活みたいに力を入れるほどでなくても、クラブがあれば一緒に活動する楽しさも味わえるし、何かの意欲につながると思いました。そこで仲良くなった生徒やコンピュータに興味を持つ生徒10人程を集めて放課後にプログラミング等をし始めました。そして生徒たちがクラブを楽しめるようになった頃には、この活動が認められて学校のwebサイトを作るまでに発展しました。
 

▲初めて仲良くなった生徒と

▲タイのキャンプに引率しました

▲3Dプリンターについてのワークショップ

コンタクトパーソンになる!

タイの生徒たちと日本の後輩たちとの交流

▲中大のゼミ生を招いて行った交流授業

 次に企画したことが、「学生交流」です。私が赴任するにあたってのメイン業務は、コンピュータの指導ですが、それと同時に「一人でも多くの学生にきっかけを作ってあげたい」といつも意識していました。
 
 タイの高校生は、日本人と会ったことはほとんどないようです。そこで本学の経済学部で私の所属ゼミの佐藤文博先生や商学部の斎藤正武先生のゼミ研修合宿で、私の高校に来ていただきました。ゼミ生には、生徒たちのプログラミング授業のサポートなど、親しみを持って接してもらえて、高校生にはとても良い経験になったようです。
 
 さらに同世代の高校生とつなげようと考えました。私の母校である中大杉並高校には、「スタディツアー」という海外研修プログラムが私の在籍時にあったからです。相談してみたところ話がうまく進み、私が当時お世話になった英語担当の先生が高校生たちを連れて来てくれました。先生に再会できたこともうれしかったですが、高校生同志の交流は、大学生とのものとはまた一味も二味も違うものになりました。たった半日の交流でしたが、すごく仲良くなってくれて、その様子は本当に感動しました。
 
 日本の学生がタイに来てくれた際には、私はJICAの青年海外協力隊の派遣ボランティアの話をしています。高校や大学の後輩との交流は、タイの高校生のためでもありますが、日本の学生にもタイという国、人々や学校を知ってもらえるだけでなく、青年海外協力隊の活動のことを知ってもらいたいからです。実際に、大学の後輩が私の活動に興味を持ってくれて、私の後任ボランティアに応募し後任に決まりました。彼の応募前から相談にのったりしていましたし、タイ滞在のラスト1週間で引継ぎを兼ねて一緒に過ごすことができたのは、とてもうれしい思い出になりました。
 

プログラミングコンテストを企画して日本で開催!

 派遣期間中の集大成ともいえるのが“Thailand-Japan Game programming Hackthon2017”というイベントを開催したことです。私の派遣先の高校を含めタイ全土に12校ある姉妹校「チュラポーン・サイエンス・ハイスクール (以下:PCSHS)」は、2016年に日本の国立高等専門学校機構と国際交流協定を結んだこともあり、それを確実につなぐイベントとして企画しました。

 タイと日本の学生が技術を通じて競い合い交流することで、タイの生徒がプログラミングへの興味を深めるきっかけとなり、将来的に国際舞台で活躍できる人を目指すかもしれません。また、タイと日本の学生を繋げたい、日タイ修好130周年記念にもなる、いろいろな思いを込めて、姉妹校に派遣されている3名の隊員仲間と共に計画をすすめました。
 この大会は、「ゲーム開発」を主題としたプログラミングコンテストです。PCSHSの12校の代表で競う「タイ予選大会」を実施し、タイ予選で入賞した学生と日本の国立高等専門学校機構の代表学生で競う「日本決勝大会」を行いました。決勝大会は、北海道の函館高等専門学校で開催させていただきました。日本を見てみたい、本物の雪を見てみたいという学生の願いを叶えさせることもできたし、北海道の学生と「プログラミング」という共通の学びで競うことができて、彼らは多くを学んだことと思います。
 
 実現までには、本当に大変なことがたくさんありました。しかし、タイ教育省、国立高等専門学校機構の皆様をはじめとした多くの方々から多大なご支援を賜りました。隊員が業務の一環で、現地の学生を連れて日本に戻ってくるなど、JICAでは前例がないことだったようですが、JICAタイ事務所やJICA北海道の皆様に大変なご協力をいただけて実現することができました。この大会は大成功を納め、タイ教育省のバックアップを得ることができました。そして後任隊員が後を引き継いで、第2回大会は2018年10月にタイ国内予選を、12月に広島で日本決勝大会を実施することができました。これからも継続して、毎年開催するイベントになることを願っています。

▲北海道で初めての雪遊びを楽しむタイ人生徒たち

▲姉妹校来校の際に企画したロボット大会

活動を終えて

いつも笑顔でゆったりとしたタイの人々から学んだこと

▲2年間、美味しいごはんを作ってくれた食堂のおばちゃんと

 この2年を通じて、語学力やプログラミングに関する知識はもちろん成長できたと思います。しかし、それよりも「生き方」についての考え方が変わったように思っています。
 タイに限らず、東南アジアの人々は、ゆったりとした性格で常に笑顔の方が比較的多いと感じました。私はタイの風土や人々からいろんな生き方を学ばせてもらいました。タイ語で「マイペンライ」という言葉があります。「大丈夫、大丈夫だよ」というような意味です。
 派遣中に高校の生徒たちはのんびりとしていました。活動のスケジュールが立てられないとか、宿題の期日に間に合わないとか、そのようなことで苦労することもありましたが、それも良い思い出です。急かすこともなくのんびりとした気質の人々、それは私の性にとてもマッチし心地よい場所でした。

 帰国したのは6月下旬ですが、大学への復学は9月末だったので、マレーシアのITベンチャー企業でインターンシップに参加してきました。そして、来年2月から約3か月フィリピンIT企業でインターンシップに参加する予定です。大学での卒業研究と並行し、インターンシップでの経験を将来に活かせるように多くのことを学んできたいと思っています。そして卒業後は、日本の企業で3年ほど修行を積み、その後に海外企業で数年働いてから、その土地で起業できたら楽しいだろうなあと考えています。
 

海外へ出たいと考えるなら、まず出てみよう!

▲帰国前の「さよなら旅行」でのラフティング

 まず、行くかどうか迷っているなら行った方がよいと思います。海外に行きたいと夢を実行した日本人で、それを後悔している人に出会ったことはありません。「今はお金がないから」という理由であきらめるのは少しもったいない気がします。奨学金をもらってお金を工面することもできるし、交換留学以外にも外に行く手段はいくらでもあります。

 私はこの青年海外協力隊のことを知る前は本気で留学を考えていて、実際にアルバイトを一生懸命していました。祖父がJICAの前身の団体で活動していたので、いつかは参加してみたいと思っていました。そんなときに大学で青年海外協力隊員の募集を知り、運命を感じて応募し、活動に参加できました。
 
 今思うと、JICAのボランティア派遣で海外に行くことができて本当に良かったです。もし留学で海外に行っていたら、「誰かのために、その場に行って、問題を見つけて解決していく」というようなことはあまり経験できなかったと思います。文化も宗教も国民性も違う場所で、現地の人たちと協働で取り組んだこと、そして生徒やいろんな人たちとの出会い、日本とタイと学生をつなぐことができたことも。
 私自身も、私の派遣を通じて出会った人たちも、タイで経験したさまざまな出来事や出会いを「きっかけ」に新しい何かを見出し、いつの日か再会して協働できる日が来ることを願いながら、これからも邁進していきます。

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