02 GLOBAL PERSON

グローバル・パーソン メッセージ vol.018

中国と日本の懸け橋・香港を上手に使う

黎俊傑(Ken C. K. Lai)さん | 日本語学校「日研社(日本語研修中心)」
校長

中央大学商学部 商業・貿易学科 1993年卒業
[掲載日:2013年4月1日]

低迷している日本人気を回復させたい

3年前に独立して自分の日本語学校を作りました。スタッフは、私を入れて計4名。生徒数は累計で50名くらい。決して多くはありませんが、日系企業の衰退や東日本大震災、尖閣問題で低迷している日本人気を少しでも回復させ、日本への留学生を増やそうと、まずは日本語を教えています。規模は小さいながらも、日本語学校の紹介業務も行っています。

黎俊傑(Ken C. K. Lai)さん

日本語学校開校に至るまで

中央大学を1993年に卒業し、帰国して最初に就職したのが三菱重工でした。そこで、4年半エアコンのアフターサービスに従事しました。それから同じくエアコン関係の会社でキャリアというアメリカのメーカーと、電子部品メーカーTDKにそれぞれ2年間携わり、2002年にユニデンに転職し、電子部品の水晶振動子の営業を2年間担当、その後、同じ水晶振動子の会社である日本電波工業で2年、京セラミタで2009年の8月までの1年間働き、2010年に入ってすぐに、日本語学校を作りました。
私の場合、結果的に大体2年周期で仕事を変えていた訳ですが、日本語の教師は正規の仕事とは別にずっと続けており、香港大学と香港バプティスト大学の夜間部で1995年から2003年まで日本語のインストラクターをやっていました。大学講師の仕事は、学生がいれば呼ばれるといった感じでしたが、10年くらい前から日本語講師の資格が日本人に限定されるようになってからは、非常勤の仕事もご無沙汰でした。
日本語学校を開校した大きな理由は、独立して、自分で仕事を始めたいと思ったからです。伝統的な日本的経営のせいか、日系の会社に勤めていてもなかなか上には上がれませんでした。いくら頑張っても、上には日本人しかいない。せっかく日本に6年間もいて学んだのだから、その経験を活かそうと、奉公人を辞めて日本語学校を作った訳です。有名大学で教えた自信もありましたが、何よりも日本語を教えるのが自分の趣味であったというのが、もっとも大きな独立の理由でした。

変わる香港の教育制度

日本語学校受付デスク

日本語学校受付デスク

日本語学校の生徒には、中学生や高校生をはじめ、社会人もいます。特に中高生の場合は、数年前に香港の試験の仕組みが変わったせいで、今が改革のやり時なのです。
かつて香港には、従来の植民地時代から残るイギリスのシステムであるHKCEE(Hong Kong Certification of Education Examination:香港中學會考)という試験があり、セカンダリースクールの5年生(16~17歳)のときに受けるテストがありました。これに合格すると、FORM6、FORM7・・・・・・と、大学予科に当たる残り2年のセカンダリースクールへの入学が決まることになっていました。香港では、小学校6年、中学校5年、FORM6、7は高校のような位置づけで、この後に大学へと進学することになりますが、途中、HKAL(Hong Kong Advanced Level Examination:香港高級程度會考)に合格しないと大学に進めません。これが2008年に制度変更され、新制度では高校は3年までになり、HKCEEもなくなりました。旧制度で大学進学までに2回あった統一試験の代わりに、新制度では、FORM6の段階でHKDSE(Hong Kong Diploma of Secondary Education:香港中學文憑考試)という大学進学のための試験を受験しなくてはなりません。HKDSEには、試験科目が3分野あり、1.必修科目(中文、英語、数学、通式(社会))、2.必修選択科目(20科目:経済、物理、化学・・・などから2科目を選択)、3.戦略外国語(6か国語:日本語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ヒンディ語、ウルドゥ語)となっています。つまり、必修科目と必修選択科目で6科目を受験しなくてはならず、戦略外国語は選ばなくてもいい仕組みになっていますが、6科目のみを受験してもしも失敗したら、大学に進学することはできません。学生は7科目を選択し、一科目落ちても合格できるように対策を立てる訳です。
このように、教育システムが変わっていく中で、高校生の日本語受験率は増えてくると予想されます。香港のみで、2~3万人がこの試験を毎年受けるとして、私の予想ではそのうちの1%、200~300人が日本語を受験すると考えています。これは、日系企業衰退の関係で主に社会人の日本語受講率が下がっている現況の6倍の数になります。経済に重きを置く社会人に対し、高校生は漫画やゲームなど、文化面から日本語に興味を持つ傾向にあります。このシステムは2009年から導入されており、2012年度は新制度になってから2回目の試験が実施されました。
今回の日本語学校開校の勝算は、こういった香港の教育制度改革を見据えてのものでもあるのです。

日本の若者に伝えたいこと

中国人には日本に興味を持ってもらいたいし、日本人には中国にもっと興味を持ってもらいたい――これが、私の偽らざる本音です。
これからの中国は、以前よりもずっと強くなると思います。今も各方面で国力をあげていますが、それが更に強くなると私は予想しています。これはいずれ、アメリカを超えるものになるでしょう。
だからこそ、日本の若者には国内やアメリカだけでなく、もっともっと中国に興味を持ってほしいと思っています。積極的に中国に行って、中国人の経営のやり方、国の仕組み、考え方などを学んでほしい――それがわかれば、きっと自分の将来のためになるはずです。
私が住む香港の立場は、外国も含め、対中国への橋渡しと考えています。
これからの日本の将来を担う日本の若者たちにも是非、真ん中の橋をうまく使ってほしいものです。

プロフィール

黎俊傑(Ken C. K. Lai: ライシユンキツト)
1968年香港生まれの香港人。香港の高校を卒業後日本語学校に通い、中央大学商学部商業・貿易学科に進学し、1993年卒業。同年三菱重工株式会社へ入社。4年半エアコンのアフターサービス販売に従事し、1998年アメリカのキャリア(エアコン関係のメーカー)に転職。その後、2000年に電子部品メーカーTDK、02年にユニデンに転職し、電子部品の水晶振動子の営業を2年間担当し、2004年に同じ水晶振動子の会社である日本電波工業に転職。
その間、香港大学や香港パプティスト大学で日本語教師を務め、京セラミタで2009年8月までの1年間働いた後、2010年に日本語学校「日研社(日本語研修中心)」を作り、講師を務めながら校長職に就き、現在に至る。

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