02 GLOBAL PERSON

グローバル・パーソン メッセージ vol.045

未来に向かって歩む東ティモールを通じ、日本の若者を見る

北原 巖男さん | 日本東ティモール協会
会長(元駐東ティモール日本大使)

中央大学法学部 1972年卒業
[掲載日:2015年8月3日]

苦難を乗り越え独立した国・東ティモール

東ティモール民主共和国は、2002年に独立したばかりのアジアで一番新しい国です。「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」。これが今の東ティモールだと思います。人口は約120万人、面積は約15,000平方キロメートルと、いずれも岩手県とほぼ同じ数字です。平均年齢は18歳。つい最近は港に7万トンの豪華クルーズ船が入港するようになりました。2011年にはショッピングモールができ、無料WiFiが利用できるスポットは若者で賑わっています。
次に、この国の近代史です。1515年にポルトガルがティモール島を植民地化しましたが、17世紀半にオランダ軍が西ティモールを占領。2国間で対立が起き、東西分割を行った結果、東ティモールがポルトガル領になります。1941年にオーストラリア軍とオランダ軍が東ティモールを占領し、翌年から1945年までは第二次世界大戦下の日本軍が全島を占領しました。大戦が終了してポルトガル領に戻った後、1975年に東ティモールが独立宣言をします。しかし、ソビエト連邦や中国という共産国家による進出を懸念したインドネシアが、軍事介入をして東ティモールを併合。その後、激しい独立闘争が始まります。1999年になって国民投票が行われ、8割が独立を支持してインドネシア軍が完全撤退しました。
2002年5月20日になり、東ティモール民主共和国として独立します。2002~2004年、自衛隊は国際連合平和維持活動(PKO)の一環として派遣されました。2006年になって治安が悪化し、東ティモール民主共和国は国連・多国籍軍の支援を受けます。2009年に「Goodbye Conflict, Welcome Development」と標語を掲げ、その2年後に本格的な国づくりがスタートしました。

防衛庁時代を振り返り、現在の自衛隊を思う

独立直前の東ティモールを訪れ、激励したのは小泉純一郎内閣総理大臣(当時)でした。PKOに派遣されている自衛隊を、現職の内閣総理大臣が視察したのは小泉総理が初めです。
「東ティモール国民の皆さんとの間に、絶対に壁を作るな」
小泉総理、唯一の命令でした。 私が1972年に防衛庁に入庁した時、自衛隊に対する好感度は58.9%。今は92.2%です。この数字は、東日本大震災などさまざまな活動を通じ積み重ねてきた自衛隊の努力、また国民の皆さんの理解の結果かもしれません。
しかし、92.2%というのは驚くべき数字です。私は、皆さんにもう少し慎重に考えていただきたいと思うとともに、防衛庁にいた一人として我々はあくまでも謙虚に取り組まなければいけないと思っています。

日本の若者が学ぶべき点とは

東ティモールの若者と日本の若者、お互いから学ぶべきところはあると思います。どちらの国の若者も、家族、地域の絆を大切にしていて、自分の故郷、自分の国に誇りを持っていると思います。現実の問題としては、東ティモールは2002年に独立したばかりの若い国で、インフラや教育制度などさまざまなものが整備されていません。子どもの数も増えています。そうしたなかで、戦後から復帰した日本は、彼らと同じ目線に立って互いの状況を踏まえながら、アドバイスができるのではないかと思います。

未来を担う後輩に向けて――

自分を見失う時があるかもしれませんが、そんな時こそ本来の自分でなければいけません。自分でどうにもならない時には、周りの人に助けてもらう。そうすれば、周囲と歩んでいけます。
あんなに小さな国、東ティモールは今、開花期を迎えようとしています。皆さんも、開花期を迎えようとしています。いろいろな悩みがあるかもしれません。辛いこともあるかもしれません。それでも皆さん、目標に向かって頑張って進んでいってほしいです。ひとりの先輩として、未来を担っていく皆さん一人ひとりに、心から力一杯の声援を言わせていただきました。

プロフィール

北原 巖男
日本東ティモール協会会長(元駐東ティモール日本大使)
法学部 1972年卒業

1947年生まれ、長野県伊那市(旧高遠町)出身。1972年、防衛庁(現防衛省)に入庁。防衛審議官、官房長、防衛施設庁長官などを歴任。2008年、駐東ティモール民主共和国特命全権大使、2011年には日中国民交流友好年実行委員会事務局長に就任。2013年に日本東ティモール協会を設立し、現在は日本東ティモール協会会長を務める。

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