02 GLOBAL PERSON

グローバル・パーソン メッセージ vol.051

ジャーナリズムの世界から、学生の就職を考える

門田 隆将さん
ノンフィクション作家

中央大学法学部 政治学科 1983年卒業
[掲載日:2016年3月7日]

「社会を知らない」は、苦しい戦いが待ち受けているということ

2014年、私は朝日新聞と戦争をしました。そのことを知っている学生は、この教室にどれくらいいますか? 手を挙げてください。ほとんどいない。2014年9月11日に、朝日新聞社の木村伊量社長(当時)が記者会見を開いてある記事を撤回、謝罪したんです。このニュースを知っている人は? これを知っている学生は多いですね。そうなると、なぜ記事を撤回したのか知らないまま、あのニュースを見たわけですね。あれは、私と戦争をした結果、謝罪したんです。
皆さんはニュースを見る時、ただ受動的に受け取っていますか? 「朝日新聞社の社長が、記者会見をして謝っている」。これだけですと、なぜ謝っているのか関心を持たず、流し見ている状態です。もし、そういう受動的な見方をしているなら、それはやめた方がいいと思います。もちろん、全部のニュースに疑問を持つ暇はありません。でも、あれほど大きなニュースなら、「なんでだろう?」と疑問に思った方がいい。これから社会に出るため、皆さんは就職活動をするでしょう。その際に、あなたたちが他大学の学生よりも明らかに一般常識や社会への関心、要するに視点を持っていない場合は、非常に苦しい戦いになります。これは、マスコミだけでなく、どの業界に関しても言えること。社会に関心を持つということは、そんなに難しいことではありません。「なんでだろう」と思えばいいだけ。皆さんは社会に関してそれほど関心が高くないことが分かります。これを、今後、見直していきましょう。

マスコミの情報独占が終わり、誰もが発信できる時代

私が朝日新聞と戦争を始めたのは、2014年の5月30日のこと。私がブログで、朝日新聞の記事は誤報である、と指摘しただけのことです。福島第一原発の事故当時に所長を務めていた吉田昌郎氏の「吉田調書」を、朝日新聞が独占入手したという記事。朝日新聞は、福島第一所員の9割が所長命令に反して撤退していた、と書いていた。とんでもないデタラメであることは後に判明するわけですが、朝日新聞は紙面、ホームページで大々的に報道しました。
現在、インターネットが発達して、どういう時代が到来していると思いますか? 私は情報ビックバンと名付けています。ブログ、SNSなどインターネットを通じ、世界中の人に自分で情報を発信できる。これは日本はもとより、世界の歴史にもなかった凄い事なんです。今まで情報を独占していたのはマスコミです。70年代が全盛ですが、マスコミが自分たちに都合のいい主義、主張にあわせて情報を加工して、大衆に下げ渡してきた。情報を受け取った皆さんは、「こんなことってあるのかな?」と思いながらも、知っている真実があったとしても、何もすることができなかった。しかし、今は皆さんが情報を発信したら、それが大きな渦となる可能性があるわけです。言うなれば、情報が民主化されたわけです。一部のマスコミだけが持っていた情報独占の時代が終わったということです。だから、皆さんに「関心を持った方がいいですよ」と言っているんです。社会の事象に関心を持って、いろんな情報を入手できる。自分の意見も発信できる時代です。そのような時代に、皆さんは鎖国のような生活をしていませんか? 少なくとも、朝日新聞は何でこんなに謝っているんだろうと、物凄く騒ぎになりましたよ?

「朝日新聞『吉田調書』スクープは、従軍慰安婦虚報と同じだ」

私がそう週刊誌に寄稿し、ブログに展開したら、恐ろしい数の反響がありました。この当時はまだ吉田調書が公開されていませんでしたが、政府は世論の動きに対応し、2014年9月11日に公開することになった。その発表日に急きょ、朝日新聞は記者会見を開いて謝罪したわけです。私が吉田所長にインタビューができたのは、「この人なら、原発バッシング、そういうものを超えた真実の話を書いてくれるんじゃないか」と信頼してもらえたからです。私自身、原発推進でも反対でも、どちらでもない。マスコミ・ジャーナリズムは真実を報道するという、大きな使命と責任がある仕事なんです。この中に反原発運動をやっている人もいるでしょう。止めておきなさい。賛成の人の意見も、反対の人の意見も、両方に一理ある。両方に一理あるというのが世の中の真実です。若い時にそんな極端なものの中に飛び込んだら、人生を無駄にします。薄い知識しかない時、ちょっと話を聞いたくらいで、世の中の数パーセントしかやっていない運動に飛び込んだら、本当に視野が狭くなりますよ。賛成の人の意見も、反対の人の意見も、じっくり聞いてみてください。世の中、片方だけが正しいなんてことはありません。

情報発信の重要性と、自身の主義に併せ事実を曲げるメディア

2011年3月15日。この日は日本が有史以来最大の危機に陥った日です。原発2号機の爆発危機が、刻々と迫っていた。福島第一原発に6基、そこから12キロ南にある福島第二原発に4基の原発があります。1つが爆発すれば、それは連鎖する。「チェルノブイリの10倍」。これが吉田所長の意見だった。原子炉が爆発したら、日本は終わりだったんです。
3月15日。原子炉圧力容器の数値がパンパンになり、爆発が近づいていた。皆さんならどうしますか? 逃げたいですよね。家族のもとに帰りたい。この時に、死ぬ順番の話になったんです。免震重要棟にいたのは720人。この中から作業のため最初に残ったのが、フクシマ50と言われる人たちです。50人と思っているかもしれないが、実際は69人。720人を10で割った70人弱です。残りの人間は、吉田所長の命令通りに移動した。もし、最初の爆発、あるいは大量の放射能漏れの時に、720人全員がいっぺんに死んでしまったら、戦いはそこで終わってしまう。最初に残った人たちが死んでしまったら、次の70人が作業にあたる。そういう戦いだったんですよ。この人たちは、東京電力本店とも戦っていました。本店は筋の通らない命令を出してくるんですから。同じ東電でも、現場の人たちはもの凄い執念で戦っているんです。人間には、本義がある。その人が本来存在する意義とも言うべきものでしょう。同時に、企業にも本義があります。東京電力の本義は? 電気を供給する? それは当たり前のことです。それよりも、もっと大切なこと、命を守るということです。そんな時に、東京電力本店は何をしていたか! 朝日新聞にとっては、現場も東電本店も全部、東電だと思っているかもしれない。原発作業にあたった人たちの、ものすごい修羅場を全面否定した朝日新聞の記事。朝日新聞はこの記事を書くにあたって、720人いる取材対象者のうち何人に取材をしたか。ゼロです。情報ビックバンの時代に、まだこんなことをやっている。朝日新聞は反原発で原発再稼働反対という強固な主義、方針を持っています。そのためには、事実を捻じ曲げる。非常に問題だと思いますが、主義・主張にこだわった、事実は二の次であるメディアがあるんです。

業界で求められる人材、面接を突破する答えとは

マスコミ、ジャーナリズムは、それくらい重要です。皆さんには、そういう仕事に就いてほしい。新聞なりテレビなり、マスコミ業界に就職する難易度は、昔よりも下がっています。マスコミに入るために重要なのは、作文と面接です。作文を書くコツをお教えしましょう。作文というのは、体験に基づいて書きます。体験がない人はどうするか? 新聞の都民版を読んでみてください。イベント等、色々と体験できることが紹介されています。いくつもいくつも、体験しに行ってください。そのうちに、「あ、これはネタになる」と分かってきます。体験がないから作文が書けないなんて言っていたら、他大学の学生に勝てません。
もう1つ、面接についてお話します。どう面接を突破するのか。就職活動では、エントリーシートを書かなくてはいけない。この中身で、勝負の半分は決まります。いかに、相手が興味を抱く要素を散りばめるか。「この人と一緒に仕事がしたい」「この人なら、相手を信頼させて記事を作るだろう」「スクープするだろう」「人の心を打つ番組を作るだろう」という、人間性を相手に分からせることが重要です。私は25年間、新潮社でサラリーマンをしていましたが、そのうち20年間は面接委員でした。話し始めて数分で、合格か不合格か分かります。今、マスコミの人事担当は精神的に強い人間を必要としている。常に、相手側から自分を見て、自分の内面をどう理解させるか考えましょう。面接では「大学時代に何をやってきましたか?」と必ず聞かれます。私は学生の時、「『学んで己の無学を知る、これを学ぶという』という武者小路実篤の言葉が浮かびますが、ご存知でしょうか?」と答えた。「それがどうかしたの?」と聞かれます。「私は中央大学で様々なことをやりすぎていて、今のご質問に対してすべてを言うことができない。その全部のものの根底にある言葉がこれです。この言葉を思い知ることの連続でした」と説明しました。自分の内面を話すことによって、「では、どんなことをやっていたんだ?」と聞かれます。内面の根底にあるものを説明すると、どの面接でも反応はいいでしょう。
マスコミ、ジャーナリズムは、埋もれていたものを掘り起こすことができる。そして、歴史の現場にたつことができる。なぜ皆さんにこの世界へ来てほしいかと言うと、面白いから、有意義であるからです。今日、この教室を出た瞬間から、皆さんは世の中のニュースや出来事を能動的に調べて、自分の意見を持ってください。大いに、マスコミ、ジャーナリズムの門を叩いて欲しいと思います。

プロフィール

門田隆将
ノンフィクション作家

1958年生まれ、高知県出身。1983年に法学部政治学科を卒業し、新潮社に入社。週刊新潮で記者、デスク、次長、副部長を経て、2008年に独立。週刊新潮時代は特集班デスクとして、数多くの特集記事を執筆した。独立後はノンフィクション作家として、戦争・事件・スポーツなど幅広い分野で著し、数々の賞を受賞。『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』が「第19回山本七平賞」に輝いた。

前へ

次へ