02 GLOBAL PERSON

グローバル・パーソン メッセージ vol.064

Win-Winな関係で日本と世界を繋ぎ、新たな価値を創造する

安藤 浩さん | アドビ システムズ株式会社
エクスペリエンスクラウド法人営業本部
アライアンス担当 執行役員

法学部 法律学科 1994年卒業
[掲載日:2018年03月13日]

MicrosoftやAdobeなど、華やかな職歴を連ねる安藤氏。
今後の目標は?と伺うと、
「社会人を引退した後もずっと関係を続けられるような友人を、
日本や世界中で作ること」という答えが返ってきた。

人との縁を大切にするのが、彼のポリシーだ。
そして、そんな安藤氏だからこそ協力者が集まり、
多様な人々を巻き込んだ大きなビジネスが創出できる。

人として、働く上で、次世代が胸に刻むべき姿勢が
彼のキャリアから見えてくる――。

憧れは、日本を発信する仕事。夢の実現に向け、海外留学へと行動を移す

情報不足が招いた、二択の就職先

 学生時代に憧れていたのは外交官や国連職員でした。歴史が好きだったのと司馬遼太郎や山崎豊子の本の影響もありましたね。中央大学では法学部に在籍していましたが、司法試験を志していたわけではなく、日本を世界に発信する仕事がしたいと思っていました。
 私が学生の頃はまだインターネットが普及しておらず、得られる企業の情報が限られていましたし、学生ということもあって世の中にある会社もよく知らず、「自分がやりたいことができる職種は外交官か国連職員だ」と思い込んでいたんです。

留学がまだ“当たり前”ではなかった時代

 卒業後の進路を色々と悩んだ結果、もっと勉強しなければ自分がやりたいことができないと感じ、「海外の学校にチャレンジしたい」と親に頼み込みました。学位の取得と卒業後の就職を条件に許してもらいましたが、当時の中央大学法学部には卒業後の留学プログラムはなく、自分で一から手続きをしなければいけない状態でした。推薦状も法学部教授 三枝幸雄先生の教授室に行って、書いていただきました。希望した留学先は、イギリスのリーズ大学の大学院でした。

 この年、ちょうど就職氷河期に入り、多くの学生が就職活動で苦しんでいました。そんななか卒業後にイギリスの大学院に進むというのは、珍しかったかもしれません。三枝先生から「君はイギリスで何がやりたいんだ」と問われ、私は「国際関係論と国際法を深掘りしたい」、「こういう先生がいるから、リーズ大学の大学院に行きたい」と具体的に説明しました。

 私が大学2年生だった1991年。湾岸戦争が勃発しました。国連安全保障理事会(安保理)は、アメリカをはじめとする多国籍軍のイラクに対する武力行使を容認する決議を成立させ、これが国際法上で問題になっていました。ゼミではこの問題を議題に国際関係論と国際法を研究していて、ゼミ論文で海外文献を調べるうちにリーズ大学に国際関係論で有名な先生がいることが分かったのです。
 英語が特別できたわけではありませんでしたが、何でもいいから海外へ行きたいというわけではなく、具体的に研究したいテーマがあると伝わったことで、推薦状を書いて頂けたのかもしれません。

日本と異なる海外の論文形式に苦戦

夜中までEssayを作成していた
留学時代の寮の部屋

 リーズ大学大学院からはコンディショナル・オファーを頂きました。大学内の語学学校に通い、基準に達すれば入学許可が出る“条件付きの合格”という意味です。この語学学校で現地の英語を必死で勉強して、無事入学するこができました。それでも、実際に大学院の授業が始まると、教授や他の生徒がしゃべる英語のスピードが語学学校の時とはまったく違っていたので、ついていくのが大変でした。

 意外に苦労したのが、定期的に提出しなくてはならない小論文(Essay)。
 「会話でなく書くのだから日本人でも何とかなるのでは」と思いますよね? ところが、日本の論文と形式がまったく違って、結論に至るまでのプロセスにオリジナリティが強く求められるんです。
 当時、日本の高校や大学の英語と言えば暗記が中心。論文も模範解答に沿った日本の論文形式に慣れていたので、そうしたオリジナリティが重要だと分かるまで「なぜ先生は自分のEssayを評価してくれないんだろう?」とかなり悩みました。
 自分の考えを突き詰めていく論文形式に慣れるまで、時間がかかりましたね。

学生時代、まさにやりたかったことが実現できた場所は――

論文執筆の間に、日系企業の就職活動が終了してしまった!

リーズ大学大学院の卒業式にて

 リーズ大学の大学院を卒業したのは1995年12月。
 修士論文にかかりきりになっていて、落ち着いた頃には日本企業の採用は終わっていました。とは言え親との約束があったので就職しなくてはなりません。「外資系も面白そう」と思っていましたし、当時、韓国企業が半導体ビジネスで業績を伸ばしていた時代でした。そんななかで縁あって、韓国の「LGグループ」の日本法人に入社することができました。

 世界最先端のテクノロジーを誇るNikonやCannonなど日本の半導体製造装置メーカーの方たちとお付き合いさせていただいたほか、韓国語を学んだり、韓国へ出張したり、今でも繋がっている韓国人の友人もできてよい経験をさせて頂きました。

 ところが、1998年に通貨危機でウォンが急落。韓国大統領の命令でLGの半導体部門が、競合する財閥企業の現代半導体に吸収合併されてしまいました。混乱の中で、私は3年ほど勤めたLGを離れようと転職を決意しました。

アメリカ行きのルートがある企業を選び、転職

 次の就職先は、アメリカ本社に行くチャンスがあった日本マイクロソフトを選びました。
 Microsoftは当時、Windowsビジネスが伸びていた時期。アメリカ本社では日本のPCメーカーに注目をしていて、CEOのビル・ゲイツ氏は「SONYのVAIOを見ればPCの未来が分かる」と言っていた時代でもありました。
 私がMicrosoftのアメリカ本社にSONYの方々をお連れすると、Windowsの開発トップは忙しくても時間を作ってくれるんです。NECを担当した時も同様で、Server関連のテクノロジーも注目されていました。日本人としてこれほど誇らしいことはなく、Microsoftを通じて日本のテクノロジーを世界に発信できていることがとても楽しかったです。

 学生の頃は会社に関する知識が限られていて、自分がこうした仕事ができるとは思っていませんでした。しかし、世の中にはスタートアップも含め数多くの企業があります。
 学生の皆さんには、外交官や国連職員にならなくても、民間ベースや外資系企業で日本を発信することは十分できる、と伝えたいです。

 とても印象に残っている経験を1つ、ご紹介します。
 私が日本マイクロソフトに在籍時代、SONYとMicrosoftはパソコン事業で手を組みながらも、他の事業では激しく競争していました。
 そんな時に、Microsoftの当時のCEOスティーブ・バルマー氏の来日が決定。私はパソコン事業以外でSONYとMicrosoftを結びつけることができないかと考え、トップ会談を実現させようとしました。
 周囲の協力を得ながら、どういう形で協業が実現できるのか10通り以上のシナリオを作成しました。その一つが、「敵の敵は味方」という構図。当時SONYとMicrosoftの共通する競合企業はAppleでした。
 AppleはiPodを発売し、スティーブ・ジョブズ氏がミュージックシーンを変えていた時期です。しかし、SONYとMicrosoftが持つテクノロジーを併せれば、Appleに対抗するための協業シナリオが成り立つ。トップミーティング前に、私はスティーブ・バルマー氏へ協業のメリットを訴えました。当時私は30代前半の若造でしたが、その協業案は受け入れられ、バルマー氏は当時のSONY社長へ話をもちかけてくれました。
 今ではWALKMANやPSPなどSONYのポータブルデバイスに、Microsoftの音声圧縮・権利管理のテクノロジーが入っています。

Win-Winの関係が、良好なクリエイティブに繋がる

 日本マイクロソフトには12年いましたが、やりがいがあったので本当にあっという間でした。その後、シアトルにあるMicrosoft本社に移って5年。ここでは富士通やPanasonicのテクノロジーを発信する仕事にも従事していました。
 そして「そろそろ他社も経験しないといけない」と考えていた時に元日本マイクロソフトの先輩にお声がけいただき、現在はアドビ システムズでアライアンスの仕事をしています。

 AdobeはMicrosoftとの協業をグローバルに発表しており、私は古巣である日本マイクロソフトの方々と日本で協業できるビジネスシナリオを創造的に考えています。
 クリエイティブな思考は、留学先でオリジナリティを追求しながら論文を書いた経験やMicrosoft時代の様々な経験が役に立っています。

 常に気を付けているのは、「自分の事情を相手に押し付けすぎない」こと。こちらの言い分を押し付けてばかりでは、物事はうまくいきません。外資系に限らず、内部事情を相手に押し付けてしまう傾向がありがちですが、必ず相手の事情を把握して考慮したうえで、Win-Winの関係を築こうとしなければ話は前に進みません。

・相手がどう困っているか
・どういった課題があるか
・どう解決したいと思っているか

 当たり前のことですが、これらを社内含めて把握できれば物事が進むと思います。

鍛えるべきは、人を巻き込む力「EQ」。人脈は、財産です

“実現”を支えてくれるのは、人との繋がり

 SONYとのトップ会談を実現させた時、情報収集や10通り以上の協業シナリオ作りに協力してくれた人たちがいました。いつでも叱咤激励してくれる上司や先輩たちがいました。お互い励ましあった同僚や、一緒に苦労をしたお客様とは、今でもお付き合いをさせていただいています。支えてくれる人々や、こうした方々との繋がりは私にとって何物にも替えられない財産となっています。

 1人できる仕事は限られます。
 協力してくれる人がいるからこそ、1人ではできない大きなことが成し遂げられます。その際、その場限りの付き合いだと思って不義理なことをすれば、その場はしのげてもいつか必ず自分に跳ね返ってきます。ドライに見える外資系のIT業界でもそれは同じで、上層部は会社を跨いだネットワークで繋がっているものです。
 そして、周囲を巻き込むことは、すごく大切です。知能や能力指数にIQやEQなどがありますよね。大きなことを成し遂げるには、やはりEQがないと駄目です。いわゆる頭の良さのIQだけでは信頼されず、利用されるだけと思って協力してくれなくなってしまいます。
 「○○さんが一生懸命にやっているから、自分も一緒に、一生懸命にやろう」と思ってもらえたら、人との繋がりが財産となり自分の仕事が楽しくなる。やりがいを持って日々を過ごせるようになりますよ。

■プロフィール■
アドビ システムズ株式会社
エクスペリエンスクラウド法人営業本部 
アライアンス担当 執行役員

安藤 浩(あんどう ひろし)さん

1971年生まれ、神奈川県出身。1994年に中央大学法学部を卒業後、イギリス、リーズ大学大学院に入学。1995年12月に卒業した後、LG Japanを経て1999年に日本マイクロソフト株式会社に入社。2011年にはシアトルのMicrosoft本社へ移る。2016年に帰国し、アドビ システムズ株式会社にて、企業のデジタルトランスフォーメーション活性化をサポートするパートナービジネスに従事、現在はMicrosoftとのアライアンスを担当している。

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