学生時代は実家のわずかな仕送りを補うために、家庭教師等を含め、さまざまなアルバイトを経験しながら大学に通っていた頃、1991年1月に(第1次)湾岸戦争が勃発し、イラク領内にいるクルド人に人道危機が発生しました。
当時、国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんやカンボジアで国連PKO活動のトップだった明石康さん、といった日本人の国際舞台での活躍をテレビで知りました。その頃から将来は、日本人として自分も国際的な舞台で働きたいと考えるようになり、英語力向上のために、NHKラジオ英語講座の聴講などの自力学習と授業の外書講読に力を入れるようになりました。
当時、国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんやカンボジアで国連PKO活動のトップだった明石康さん、といった日本人の国際舞台での活躍をテレビで知りました。その頃から将来は、日本人として自分も国際的な舞台で働きたいと考えるようになり、英語力向上のために、NHKラジオ英語講座の聴講などの自力学習と授業の外書講読に力を入れるようになりました。
大学を卒業してからは、開発協力機関(JICA)や人道援助機関(UNHCR)等での職務に就きました。それらの活動を通じて、 草の根レベルで「困難に直面している人を救いたい」という思いが、より強固になっていきました。そして、世界中に人道活動のネットワークがあり、地域社会に根付いた活動を実施している日本赤十字社にたどりついた次第です。