05 REPORT

ブラジル派遣者による「JICAボランティアセミナー」を後楽園キャンパスにて開催

2016年08月04日

↑青年海外協力協会(JOCA)・岡田氏による説明

↑青年海外協力隊事務局・松舘氏


↑コンピュータ技術顧問・四元氏

 2016年7月1日(金)、後楽園キャンパス3号館会議室にてJICAボランティアセミナーが開催されました。JICAボランティアについての説明のほか、体験談の紹介や質疑応答の時間が設けられました。
 セミナーの冒頭では国際センター・小川正純から挨拶があり、「現在派遣中の青年海外協力隊員、約2000名のうち、中央大学の在学生、OB・OGは26名います。皆さん自分のライフプランに合わせ、在学中や社会経験を積んでからなど、タイミングを計り参加しています」と、本学学生、OB・OGの実績を示し、積極的に国際協力に取り組んでいる様子を明かしました。
 JICAボランティアの概要については、青年海外協力協会(JOCA)・岡田宏太氏が登壇。JICAボランティアには「青年海外協力隊」のほかに「シニア海外ボランティア」、「日系社会青年ボランティア」、「日系社会シニア・ボランティア」と計4種の事業があり、年齢や支援内容に応じて応募できることや、学生でも参加しやすい専門資格が求められない職種「コミュニティ開発」、派遣期間が短い「短期ボランティア制度」などがあることを説明しました。
 国際協力機構(JICA)青年海外協力隊事務局・松舘文子氏は、中央大学に設けられている学内募集枠について触れ、タイ王国 チュラポーン・サイエンス・ハイスクール・パトゥムタニー校に青年海外協力隊員(職種:コンピュータ技)として本学学生が派遣されている様子を紹介しました。
 その後、日系社会青年ボランティアとしてブラジルで日本語教育に携わった岡田氏より、ブラジルの日系社会や派遣先での活動で得たもの等について発表がありました。日頃、触れる機会の少ない日系社会について生きた体験が紹介され、発表後の質疑応答では学生から活発に質問が飛び交いました。また、国際協力機構(JICA)青年海外協力隊事務局から参加した松舘氏、コンピュータ技術顧問・四元氏をはじめ4名の職員もまた学生からの質問に応じ、セミナーは盛況のうちに終了しました。

日系社会青年ボランティア


【プロフィール】
青年海外協力協会(JOCA)・岡田宏太氏
日系社会青年ボランティア/平成25年度0次隊 派遣先/ブラジル 職種/日系日本語学校教師

1989年_東京生まれ。幼少期はベルギー、アメリカで過ごす
2012年_大学卒業後、NPO法人ABCジャパンに就職
2013~2015年_日系社会青年ボランティアとしてブラジルに派遣される
 幼少期を海外で過ごした経験を活かし、日本で暮らす在日外国人を支援するNPO団体に1年間勤務。その後、実際に日系社会を見に行くために日系社会青年ボランティアに参加。日系日本語学校教師としてブラジルに派遣される。


日系社会での日本語教育
 私の派遣先はブラジル・サンパウロ州の大都会から170キロ西に進んだコロニア・ピニャールという、戦後に造られた新しい日系移住地でした。
 世界の日系社会は6、7世の時代ですが、コロニア・ピニャールの日系社会はまだ3、4世の時代。日本語での日常会話はある程度できますが、読み書きは苦手です。ブラジルの公用語・ポルトガル語しかできない子もいます。昔は国語の教科書を使って住民が子どもたちに日本語を教えていましたが、日本語が話せる子どもに日本語を教える方法しか確立していなかったため、外国人に教える日本語教授法が必要となりました。
 私はこうした日本語離れを解決するために、JICAボランティア9代目として現地に派遣されました。また、ポルトガル語が苦手な子どもは、日本語の授業が終わると話ができなくなってしまいます。そうした子たちのケアをする必要もありました。

派遣を通じて得た教訓
 海外生活はストレスが溜まります。そんな時、皆さんならどうしますか? 私が気分転換の方法として行き着いたのが、畑作りでした。畑作りの大変さを身をもって体験したことで、土地を開拓した日系1世の人たちへの尊敬が生まれ、おじいちゃん、おばあちゃん世代と信頼関係が築けたことで移住した当時の話を聞くことができました。子どもたちには、心から「この村がいかに貴重か」が話すことができ、よい相乗効果をもたらしました。
 現地での活動は、職種に捉われてはいけないと思います。任務は遂行しますが、休日もあるので要請以外の活動もできます。私の場合は他団体のボランティアを学校に招いてJICAの枠を超えた交流をしたり、子供たちと協力して現地の情報をWebサイトで発信したりしました。JICAボランティアの活動は現地の状況にも寄るので正解がなく、自分次第で幅を広げることもできるし、逆に狭めてしまうこともあります。周囲に助けてもらうことで、要請以外の部分から広がる活動はある。
 ブラジルで過ごした2年間、私は日本では見られない景色を見て、出会えない人々に会い、出会えない料理を味わうことができました。それによって、日本にいては引き出せなかった自分が出てきたと思っています。人生の幅を広げたいと思うタイミングが来たら、その気持ちにチャレンジする価値はあります。

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