05 REPORT

【2012年度中央大学国際教育年報】グローバル人材育成と言語教育のあり方をめぐって

2014年01月16日

栗原文子 商学部准教授
グローバル人材育成推進委員会
カリキュラム改革及び教材開発WG  外国語力強化プロジェクト主査

加速するグローバル化

最近、新聞やテレビなどで毎日のように取り上げられ、日本社会にすっかり定着した感がある「グローバル化」だが、ここ40年間に急速に進行してきた現象といってよいだろう。経済面で国と国との境界線が薄れた結果、1980年代には、人、金、情報の地球規模の移動、流通が顕著になった。1990年代には、コンピューターや携帯電話の普及により、国境を越えずとも、インターネットを通して世界中の情報を手に入れ、外国の人々と直接交流することが可能となった。今世紀に入り、一部の限定的な人々だけでなく、子供や高齢者も含め広く一般人にもグローバル社会が押し寄せ、さまざまな国々がつながり影響を及ぼし合っていることを、日常的に実感するようになった。グローバル化がもたらした豊かさと便利さは絶大である。しかし、周知のとおり、手放しで喜べることばかりではなく、さまざまな摩擦や困難な問題も生じている。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉に見られるように、立場や利害関係の違いを乗り越えて新しいルール作りを行う必要がさまざまな分野で生じており、複雑な課題が山積している。また、特定の地域に根差して発展してきた多くの言語や産業が失われようとしている。国連教育科学文化機関(ユネスコ)2009年の発表によると、世界で2500以上の言語が消滅の危機に瀕している。多くの場合、言語の消滅は文化の消滅も伴うため、人類にとって大きな損失である。また、情報が瞬時に世界を駆け巡る今日には、いまだかつてない規模で、間違った方向へのマインドコントロールが行われる危険性もはらんでいる。このようにさまざまな負の側面がもたらされるが、グローバル化の流れに抗うことは不可能であろう。大切なことは、マイナス面を最小限にとどめ、より多くの人にグローバル化の恩恵が行き届くよう、一人一人が、責任感とバランス感覚を持って、主体的に行動することである。

グローバル人材の意味

「グローバル人材の育成を!」という熱い声が官庁からも企業からも大学に寄せられている。グローバル人材とはいったいどういう人材なのか。定義は一つではないが代表的なものとして、「世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティーを持ちながら、広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間」(産学連携によるグローバル人材育成推進会議、2011年4月)があげられる。しかし、ここで謳われている「日本人としてのアイデンティティー」は不明瞭かつ不十分と言わざるを得ない。そもそも日本国籍を有する日本人が皆同じ「日本人としてのアイデンティティー」を共有するわけではなかろう。グローバル社会に一歩出ると、日本や日本人について質問を多く受け、自らを客観視することになるので、「日本人」であることの意識は自然に高められる。自国の文化や歴史についての知識を得て、説明できるようにしておくことはもちろん大切である。しかし、見落としてはならないことは、グローバル社会で生きるということは、日本人としてのアイデンティティーだけでなく、同時に地球市民(global citizen)としてのアイデンティティーをも確立していくということである。これは必ずしも「日本人としてのアイデンティティー」と重ならない。個人のアイデンティティー形成は国籍の枠に縛られることなく、経験を通じて変化し続ける複雑な事象であることを認識しておくべきであろう。

また、グローバル人材の資質としてよく指摘されるコミュニケーション能力と協調性は、異なる他者とのかかわりの中で、その重要性に気づき、成長していくものである。シンガポールやマレーシアのような多言語、多民族国家と異なり、日本人には多様な他者との関係性を育む機会が日常的に乏しく、多様な個人よりもグループの和(unity)を尊重する風土が育まれてきた。また、それが国の発展に大きく貢献したことも事実である。しかし、それだけでは今後グローバル社会で活躍することは困難だ。グローバル人材とは、地球規模で課題をとらえ、異質なもの、多様性への興味をもち、他者と新しい関係を構築し、協働することのできる人材でなくてはならない。

中央大学におけるグローバル人材育成事業

本学は平成24年に、文部科学省「グローバル人材育成推進事業」全学推進型(タイプA)に採択され、昨秋から全学を挙げてさまざまな取り組みを始めている(詳しくは大学ホームページhttp://globalization.chuo-u.ac.jp/を参照)。日本人の若者の内向き志向が指摘される中、平成25年春に、海外インターンシップ研修などを含む7つの新規短期留学プログラムの説明会を開催したところ、予想を超える400名以上の学生が詰めかた。決して学生たちが、「内向き」ではないことを実感することができ、頼もしく思った。若い時に自分とは異なる他者との関係性を、より広い世界で体験する機会は貴重である。海外留学に限らず、学生には行動範囲を広げ、居心地の良さからあえて脱する努力を重ねてほしい。その過程で、自分の目標や身につけるべきスキルについて、熟考する機会が得られるはずである。また、大学はそのための動機づけと支援を積極的に行わなくてはならない。現在、各学部で、単位認定を伴った留学プログラムの増設に力を入れている。単なる語学留学にとどまらない、グローバルな視点で専門性が磨かれるようなプログラムの設置を目指している。大学からの熱いメッセージとして、学生に受け止めてもらいたいと切に願っている。

求められる英語運用能力

グローバル化の中で、英語の役割は増大している。現在、母語話者4億人、それよりはるかに多い約15億人が、英語を第2、第3言語として日常的に使用しているとされる。世界での英語使用の拡大を「英語帝国主義」とよび脅威としてみなす向きもあるが、残念ながらそれらの批判はグローバル化への批判と同様、実態を無視した不毛なものであることが多い。英語使用の世界的拡大は、グローバル化による人々の意思疎通や相互理解のニーズの高まりが背景にあり、その需要まで無視することはできない。先に述べたように、英語使用の拡大により、他の言語が喪失されること、あるいは軽視されること、ましてや母語の発達・使用が疎かになることに対しては最大の注意を払い、回避するべきである。グローバル化同様、英語使用拡大も両刃の剣なのであり、マイナスの側面を認識し対策を講じた上で、大いにその利便性を活用したいものである。日本では、英語教育のあり方について常に論争が巻き起こっている。コミュニケーション力育成重視のカリキュラム移行の過程で、文法訳読式の伝統的な授業は批判されて久しいが、読解力育成においては一定の役割はあり、翻訳を完全に否定する必要はないだろう(もちろん訳読中心ではコミュニケーション能力が効果的に育成されることは望めない)。また、2009年の高等学校の新学習指導要領において、「授業は英語で指導することを基本とする」と打ち出されたが、その効果について専門家からは疑問の声が上がっており、今後の検証が必要である。小学校への早期英語教育導入についてもその指導法や内容を巡って議論が絶えない。子供は確かに発音を真似したり、臆せず自分の意見を話すことに優れているが、「早ければ早いほどコミュニケーション力が身につく」と考えるのは楽観的すぎる。特に日本のように英語を普段日常的に使う場面が乏しい環境においては、インプットの量だけでなく質も重要だ。また、グローバル化に伴い、日本人学習者が目指すべき英語運用能力についても再考する必要がある。従来のような英米の母語話者を学習モデルとすることから脱し、日本人なまりがあっても、文法が多少間違っていても、自分の意図するところを場面に適した言葉で、できるだけ正確に他者に伝え、友好的関係を構築することができる能力を目標とするべきであろう。これは、文法や語彙を学び、正解が一つしかない問題を解くだけで育成されないことは明らかである。

筆者は、学習者の英語運用能力育成のために、教室の内外でいくつかのプロジェクトを実施している。数年前には、本学の学生と台湾の大学生との間でEメールによるペンパルプロジェクトを行った。日本人の学習者は英語でメールを作成することにも苦労したが、英語の間違いが原因ではなく、相手の文化に対する認識の欠如や日本や台湾、中国についての歴史認識の違いにより、たびたび誤解やコミュニケーションの困難さが生じたことに戸惑っていた。たとえば、ペンパル(台湾人)のことを”Taiwanese”ではなく”Chinese”と呼称して気分を害させたり、かつての侵略国家だから日本人は台湾人から嫌われていると思い込んでいたが、ペンパルから台湾には親日感情を抱いている人が多いこと聞かされ、驚いたりした。このような経験は、言語使用者として一人一人が社会的存在(social agent)であり、それぞれが使用する言葉には大きな影響と責任が生じること、英語を「使える」ようになるにはコミュニケーションの相手の文化的背景など言語以外のさまざまな知識も必要であることを意識させる上で有益であったと考えている。

複言語、複文化主義を目指して

最近日本でも注目を集めている、「外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ参照枠(Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment)」(欧州評議会より2001年に出版)の理念的基盤は、複言語、複文化主義である。27の加盟国、23の公用語を誇る欧州連合(EU)では、義務教育終了時までに、母語以外に2つの言語を使えるようになる(完璧さは求められない)ことを言語政策上の目標としている。学習者個人の中に、複数の言語や文化の知識や体験が有機的に関連付けられることにより、自文化中心から脱却し、異文化間話者(intercultural speaker)として成長し、共同体としての平和、発展に貢献することができると考えられている。

日本はEUと異なり、学習者が日常的に複数の言語、文化に接する機会が多いとは言えない。しかし、外国語を習得する過程で、日本人学習者の中にも複文化、複言語の視点が芽生え、新しい価値観、多面的思考力が養成されることは望ましく、グローバル人材育成の要請に合致した方向性であろう。複雑な課題に直面し、主体性をもって前向きに解決を目指し行動することができる人材育成に直結する外国語教育のあり方について、さらに議論が深まることを期待している。

[参考文献]
大津由紀雄(編著)(2009)『危機に立つ日本の英語教育』(慶応義塾大学出版会)
Byram, M. (1997) Teaching and Assessing Intercultural Communicative Competence.  Clevedon: Multilingual Matters.
Council of Europe (2001) Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment. Cambridge: Cambridge University Press.
Crystal, D. (2003) English as a Global Language. Cambridge: Cambridge University Press.
Kurihara, F. (2010) Developing learners’ intercultural communicative competence: An E-mail exchange project between Japanese and Taiwanese university students.  English Language and Literature, 50, pp.177-194. The Society of English Language and Literature, Chuo University. 

[プロフィール]
栗原文子 商学部准教授
専門分野 応用言語学・英語教育 

広島県出身。1990年津田塾大学学芸学部英文学科卒業。1992年ジョージタウン大学より修士号(言語学)、1998年国際基督教大学より博士号(教育学)取得。2001年中央大学商学部専任講師、助教授を経て、2007年より現職。大学英語教育学会、異文化コミュニケーション学会などに所属。

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